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岡山市長メールマガジン「伝説のおかやまの挑戦」(23)7月2日号

[2014年7月29日]

ID:12189

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吉備豪族の栄光を求めて

こんにちは。岡山市長の大森です。
今回は、古代のロマンをかき立てられるお話です。

古代日本の歴史を紐解くと、「魏志倭人伝」にも記述があり、皆さんにもなじみの深い邪馬台国の卑弥呼の時代が3世紀。その後は、中国の史書に倭国の記述がなくなり、その詳細が未だ明らかになっていない空白の時代に入りますが、この時期に大活躍したのが吉備豪族であると言われています。

岡山市北区新庄下には、5世紀前半の吉備を支配した王の墳墓と言われている造山古墳があります。

全長は約360mと、天皇陵に指定されている3つの古墳を除いて日本最大の大きさを誇っており、6つあるその陪塚の一つが、今回スポットを当てる千足古墳です。

千足古墳は、先の発掘調査で全長約80mの前方後円墳であることが明らかとなり、石室内の直弧文と呼ばれる装飾が特徴的な石障(石の衝立)には熊本県天草周辺でしか産出されない砂岩が、石室の壁には香川県で産出される安山岩が用いられています。

つまり、この石室は中国、そして九州、四国と広範囲にわたる人々が協力しないとできないものであり、吉備豪族が西日本一帯の盟主であった証とも言える大変貴重なものです。

私も春先に、石室の中に入って壁や石障などを直に拝見し、5世紀に君臨していた吉備王に思いを馳せ、なにかゾクゾクとしたものを感じました。

そしてこのたび、この貴重な千足古墳を、来年度から4年間かけて復元することが決まりました。

これは墳丘の上に発掘調査で出土した埴輪のレプリカを50基ほど並べ、墳丘に登れる遊歩道を設けるほか、後円部にはトンネルを設けて石室内を見学できるようにするもので、吉備が最も輝いていた時代の一つのシンボルが往時の姿を取り戻し、真の吉備路の姿を目の当たりにすることができるのだと思うとワクワクしてきます。

できることなら、今後、造山古墳そのものの発掘も早急に進め、その中から、当時の出来事を記した木簡でも出てくれば最高。そこに古代日本の歴史の空白時代である4世紀から5世紀の状況や、吉備王が西日本を闊歩する様子が書かれていれば・・・。

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