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岡山市長メールマガジン「伝説のおかやまの挑戦」(48)5月26日号

[2015年6月9日]

ID:12155

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岡山歴史のまちしるべ

こんにちは。岡山市長の大森です。

前回に続き歴史に関する話で恐縮ですが、今回は、今年度から設置を進める岡山の歴史・文化に親しんでいただくための案内板「岡山歴史のまちしるべ」のご紹介をしたいと思います。

現在でも、岡山城や後楽園など、市内の主な施設には既に案内板が設置されていますが、その他にも、各所に数多くの歴史・文化資源が存在しています。

「岡山歴史のまちしるべ」は、こうした貴重な歴史・文化資源の由来等を広く現地で紹介し、市民や観光客がまち歩きを楽しめる環境を整備するもので、ダークグレーを基調とした案内板はシックな感じでなかなかのものです。

今年度は、旧城下町エリアの62カ所を候補として設置することとしており、この秋から順次整備を進めていきます。

また、西大寺・吉備・足守・建部・灘崎など旧城下町以外の各地域についても、歴史・文化資源の調査と、地域で活用していただけるシステムの構築を進めながら、毎年度、整備していきたいと考えており、この事業を通じて、岡山市民のふるさとへの愛着や誇りを守り育てることができればと思っています。

以下で、今年度、設置を予定している「まちしるべ」の主なものについて、案内文の抜粋とともにご紹介します。

  • 岡山城外堀【二十日掘】(現:柳川筋)
    小早川秀秋が藩主の頃(慶長5年~7年)に、城の西側を固めるために築かれた外堀で、領民はもとより家臣まで動員した20日間の突貫工事によって築かれたため、この名で呼ばれるようになったと伝えられています。
  • 小西行長(現:下之町商店街内)
    キリシタン大名として知られる戦国武将です。この地の呉服商の養子となり、宇喜多直家にその才覚を認められ抜擢され、のち秀吉の家臣となります。
  • 津田永忠屋敷跡(現:表町三丁目内)
    津田永忠(1640-1707)は池田光政・綱政2代の藩主に仕え、百間川の開削、後楽園の築庭、閑谷学校の設立など、数多くの事業を指導した。
  • 山羽虎夫工場跡(現:千日前商店街内)
    山羽虎夫(1874-1957)は、明治37年(1904)4月「山羽式蒸気自動車」を製作、翌月に試運転を行いました。これは純国産で製作した自動車第1号でした。
  • 吉行淳之介生誕地(現:磨屋町)
    小説家・吉行淳之介は、大正13年(1924)、詩人の父・吉行エイスケと美容師の母・あぐりの長男として、市内柿屋町に生まれました。
  • 石関町
    宇喜多秀家が城下町をつくるにあたり、旭川の水を内堀に導くため、大石をもって堰を築いたので石関町とよばれていたと伝わります。
  • 相生橋
    最後の岡山藩主池田章政の金婚記念事業として同家が建設・命名し、明治37年(1904)年4月に開通しました。

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