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岡山市長メールマガジン「伝説のおかやまの挑戦」(50)6月30日号

[2015年7月24日]

ID:12171

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戦後70年

こんにちは。岡山市長の大森です。

当時の市街地の6割以上が焼失し、約2,000人の尊い命が失われた昭和20年6月29日未明の岡山空襲から70年。節目となった今年も、昨日、岡山市戦没者追悼式が執り行われました。

厳粛な雰囲気で式典が進む中、私は遺族会代表の方などの挨拶を聞きながら、ふと自分の父親のことを思い出していました。

私の父は、私が子どもの頃に戦争にまつわる様々な話を聞かせてくれました。岡山空襲についても、

  • B29からふり注ぐ焼夷弾で、岡山の街が真っ赤になったこと。
  • 翌日、岡山駅に行ったが辺り一面何もなく、東山が目の前に見えたこと。
  • 同じ町内の人が広島に逃げると言っていたが、父たちには行く当てがなく岡山にとどまっていたところ、広島に行った人が原爆に遭ったこと。

などの話が印象に残っています。

また、当時は「0戦はやと」「紫電改のタカ」といった戦争ものの漫画が流行し、それらを読みふけっていたこともあり、時々、父の話と相まってB29や戦闘機に襲われる夢を見て、汗びっしょりで目を覚ましたことなども併せて思い出されました。

先の大戦から70年の年月が流れ、私に戦争の話をしてくれた父は既に亡く、戦争を語り継いでくれる方も少なくなってきています。

こうした中、今回の式典には市内の約200人の小・中学生も参加しましたが、中学生代表として追悼のことばを述べた岡山市立芳田中学校の宮本怜奈さんの「修学旅行で長崎に行ったが、美しい街のところどころにまだ戦争の爪跡が残っている」という一節が、私の心に深く刻まれました。

これは先生が生徒に話したことを元に、生徒たちが語り合い、導き出したことばなのだと思いますが、一見するとわからないようなところにも、後世に語り継ぐべき「過去」は今なお数多く残っており、こうした「過去」の記憶は決して風化させてはならないのだということを再認識させてくれました。

私としては今後、戦争の悲惨さや平和の尊さを子どもや孫の世代に引き継いでいくことはもとより、一人の自治体の長として、そして一人の人間として国内外の方との交流を深め、世界平和に寄与していきたいという思いを新たにしたところです。

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