そのころ、ぼくは門をでるとき、いつも用心したものです。だって、まえのたんぼのくいの上に、よくトンボがとまっていたからです。
トンボもトンボ、とらふのヤンマです。あれが捕れるのだったら、ごはんの一ぺんや二へん食べなくてもいいくらいです。
なにしろ、シオカラなんかの三倍も四倍もあって、しっぽが黄色いマンダラです。ぼくたち子どもの一ばんのお宝です。フナなら十ぴき、スズメの卵なら三つ、カブトムシだと四ひき。とりかえっこすれば、こんな相場だったのです。だから、ぼくたち、このヤンマを見つけたとなると、たいへんです。顔色をかえて、追っかけていったものです。そんなヤンマが、なんと、
「きょうはおるかも知れない。」
ぼくが思ったとおり、門のまえのたんぼのアゼのくいに、ちゃーんと、とまっていました。まるで、ぼくのくるのを待ってたようです。そしてハネをピカピカさせ、目玉をグルグルさせて、
「いま、あの子ども、手をのばすよ。手をのばしたら、にげてやろう。」
そう、あの大頭のなかで、ヤンマは考えていたようです。しかし、いくら、そう考えていても、ぼくにかかっちゃ、もうダメです。なにしろ、ぼくは、トンボ捕りの名人です。いままで、このお宝ヤンマを、なんびき捕ったでしょう。二十とききません。しかも、それが、その年のその夏から秋へかけて四か月ばかりのあいだです。それはそうと、ぼくは、そのとき、その大ヤンマにむかって、三メートルもまえから、右手で大きな輪をかきました。その輪をしだいに小さくして、ヤンマに目をまわさせ、目のまえまで手をふっていって、目まいのしたそれをスッと手づかみにする。むかしから伝わる、あの捕りかたです。ともかくクダクダ書くことはありません。ぼくは、ヤンマをつかまえると、おじさんの家へかけつけました。
「さ、おじさん、ヤンマをつかまえてきたよ。これを見本にして、子ども乗りの飛行機をつくってちょうだい。やくそくだから。そして、それに早くぼくを乗せて。」
「よし、よし。どれ、見せてごらん。」
おじさんは、四十ですが、もう頭のはげている、村のブリキ屋です。ヤンマを手にとると、ハネをいじって、頭をかしげました。
「フーン、よくできてるなあ。とにかく、軽くてじょうぶな、このハネ。これができさえすれば、あと、ワケないんだが。こいつが、なにしろクセモノなんだよ。」
「クセモノでもいいから、早くつくって、すぐつくって。え、いつつくれる。ぼくが乗れるヤツ。」
「フーン。」
おじさんは、タバコに火をつけ、しきりに頭をかたむけ、
「ナルホド、ナルホド。」
そんなことをいうばかりでした。
いまから五十年ほどまえ、わたしが八つ、小学三年のときの思いでです。そのおじさん、いいおじさんでしたが、いつのまにか、スッと村から消えていなくなりました。わたしはずいぶん楽しみにしていたのに、おじさんのそのゆくえはついにわかりませんでした。わたしは二十ぴくもその宝のヤンマをおじさんにやったのです。
所在地: 〒700-8544 岡山市北区大供一丁目1番1号 [所在地の地図]
電話: 086-803-1054 ファクス: 086-803-1763