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[2022年4月22日]

ID:36477

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 高い松の木がありました。その上の空を五六羽の白い鳩が舞うていました。その木の下には、大きな茅葺の屋根がありました。これは青山甚七郎というおじいさんの武士の家でした。
 岡山の町に近い田圃の中の村でしたが、昔のことです。
遠く一列につづいている山の中には、木の下や岩の陰に狐や狸が遊んでいました。鹿や猪さえ、そこを牙や角をふってかけて通ることもありました。
 村の近くには、いくすじとなく川が曲り曲りして流れていました。この川の真こもの中にはオシドリやニオなどが浮いていました。ときには、河童などもいたということであります。
 五月のことでありました。青山甚七郎は座敷で机に向かって、昔の支那の本を読んでいました。側にはよろいとかぶとが飾ってありました。何本かの刀も、鹿の角の刀掛にかけて並べてありました。おじいさんは白いあごひげを生やしていました。剣術がとても強かったのです。
 そのとき、おじいさんは「えへん――」と大きなせきばらいをしました。すると、間もなく次の間との間のふすまが開いて、下男の金十じいさんが顔をのぞけました。
「お呼びでございますか。」
「うん、柳太郎を呼んでくれ。」
「はい。」
 柳太郎というのは今年十二になるおじいさんの孫でした。お父さんとお母さんは、そのころ江戸にいた岡山の殿様についていて、留守でしたので、このおじいさんの家にあずけられておりました。
「おじいさま、お呼びでございましたか。」
 今度は柳太郎が来て、ふすまのむこうに頭を下げました。
「うん、こちらへおいで。」
 柳太郎が、おじいさんの側にすわりますと、おじいさんは刀掛から一本の刀をとりました。そして柳太郎の前に置きました。
「お前にこの刀をあげる。これはこの備前の刀工、五代長船の造ったものじゃ。わしの持っている刀のうちでも決して悪い方のものではない。刀というものは武士の魂じゃ。部屋へ飾っておきなさい。木片や竹片を切って遊ぶのではないぞ。」
 それは四十センチもありましたろうか。大人が大小二本さす、あの短い方の刀でした。脇差というのです。鞘は漆の黒塗で、ぴかぴか光っておりました。柄には白いサメの皮が巻いてありました。つばは鉄で、それに金銀の牡丹の花がはめてありました。これで喜ぶまいたって、喜ばずにはおれません。
 柳太郎はさっそくこれを腰にさして、裏庭の方へ出て行きました。そこは菜園になっていて、菜の花やけしの花が咲いていました。蝶やトンボが飛んでいました。隅の松の木の下では金十じいさんが薪割りの最中でした。はちまきをし、たすきをかけて、大きな斧を、「やッ、ほッ。」と掛声をしながらふり下していました。そこへ柳太郎は脇差の柄を片手でおさえ、鞘を後にはね上らせ、肩をゆすって歩いていきました。
「あれ、若様、どうかなさいましたか。」
「えへん。」
「大変な元気ですな。」
「そうとも。」
「脇差をおもらいになったのでしょう。」
 柳太郎はにっこりしました。
「ちょっとお見せ下さいませ。」
 じいさんは斧を杖について、片手を柳太郎の方へ出すと、お辞儀のように頭を下げました。
「ようし来たッ。」
 柳太郎は足を開くと、今にも刀をぬくように柄に手をかけました。
「ややや、これは、これは、まあ、お待ち下さい。」
 じいさんは、おどけて言いました。
「若様のような方に、そんなわざものを持たれますと、近くのものが危くてなりませんわい。どんなことで、こう、石などにつまずかれまして、刃の方がこっちへ落ちかかって来ないものでもありませんでな。」
「何を言うかッ。」
 柳太郎は怒ったふりをして、刀を五センチほどぬいて見せました。
「あいすみません。あいすみません。」
 じいさんは滑稽に何度も頭を下げて、それからまた言いました。
「どうぞこの金十じじいに、五代長船の名刀を、鞘ぐるみおがませて下さいませ。目がお正月をいたします。」
 そこで柳太郎は大きな声で笑いながら、鞘のまま腰からぬいて金十に渡してやりました。金十はさも大切そうに、これを柄からつば、鞘から中身までこまごまと眺め入りました。
「なるほど、これはええものです。これなら巻藁の二つ三つ一ぺんに断ち切ってしまえまするわ。どうでしょう。若様、一つお試しになって見られましては。」
 こう金十は言うのでした。この巻藁というのは、藁束を人間の胴中に似せて造ってあるものでした。そしてこれは剣術の上手なものでないと、なかなか切れないものでした。おじいさんの甚七郎が刀でこれを切っているのを、柳太郎は今まで何度も見たことがありました。それでつい金十に言ってしまいました。
「うん、切って見よう。金十、巻藁とって来て。」
 金十はにこにこして、納屋の方へ歩いていきました。その間に柳太郎は自分の部屋へ帰って白鉢巻、白だすき、それに袴をはいて出て来ました。松の木の下にはもう台にのせて、一つの藁束が出してありました。その前には金十じいさんが、斧を両手に高々とふりかむって立っておりました。柳太郎が近づくと、じいさんが説明を始めました。
「ようございますか、若様。こういうかっこうで力一ぱいふり下すのですが、刀が藁にさわるかさわらないというところで、刀をそっちへ突きやり気味にするのですよ。おわかりになりましたか。」
「ふーん。」
 柳太郎は考えましたが、さて、思い切って刀をぬきました。そして鞘の方はじいさんに渡し、身の方を両手にもって、言われた通り真向大上段、頭の上にふりかぶりました。それから、つい目をつぶってしまったのですが、それでも、
「えいッ。」
 かけ声鋭くふり下しました。
「とん。」
 柔かい藁の音がしました。どうしたのでしょう。目をあけて見ると、あんなにはげしくたたきつけたのに、藁束が切れないどころか、その中の一本の藁さえ切れておりません。じいさんは側でにやにや笑っております。そこで、こんどこそ、というので、また、
「えいッ。」
 やはり、とんというばかりです。あとは、もうやけくそです。
「えい、えい、えい。」
 二度も三度もぶっつづけて切り下しました。しかし、もう同じことです。終いには手が疲れてしまって、
「ああ、くたびれた。」と言ったとき、刀は手からぽかりと落ちました。
「ほッほッほ。」
 金十が笑い出してしまいました。
「歳はとっていても金十じいさん、若様より少しは上手かも知れません。ね、若様、ちょっと御覧になっていて下さいませ。」
 落ちた刀を拾うと、金十が巻藁の前に立ちました。大上段に刀をさし上げました。
「えいッ。」
 サクッと音がしました。藁が真二つ、きれいに真中から切れました。
「ふーん。」
 柳太郎は感心しました。しばらく黙って立っておりましたが、刀を腰にさすと、菜園の方へ歩いて行きました。そこにはけし畠の中に、けし坊主がたくさん並んで立っておりました。
「えいッ。」
 柳太郎はその一本に抜打に切りつけました。坊主頭がころりと落ちました。
「えい。えい。えい。」
 三度ばかりふり廻しますと、十幾本の坊主や花がぽろりぽろりと落ちました。
「ほっ、ほほほほ。」
 これを見て、金十が体を曲げ曲げ笑いました。
「や、若様。おみごと、おみごと、二三年のうちにはすばらしいお手なみになられますわい。」
「なるとも、二三年どころか、来年には狼でも大蛇でも、この刀で退治てやるんだぞ。」
 それから柳太郎は、本気になって剣術をおじいさんに習いました。そして、十五の春になったときには、金十など竹刀をもっては物の数でもなく、巻藁を切ることだって、はるかに上手になってしまいました。
 ある日のことでした。柳太郎は巻藁をすぱり見事に切捨てたのち、金十じいさんに向かって言いました。
「じいさん、おれはこんな巻藁だけでなく、本ものが試して見たくなった。」
 すると、金十が言いました。
「へッ、本ものといって、人間のことでございますか。」
「何を言う。狼とか、猪とか、人間に悪いことをする奴だよ。」
「そうでございますな。山の中ですと、狼なんぞもおりましょうが、ここは野原の中ですから、まず狐くらいのものでございましょう。」
「うん、その狐でいい。どこにおるだろう。」
「さよう。あの大川の橋の上で、昔、私は大狐をとったことがございましたが――。」
「ようし。それなら、おれは今夜、その橋のところへ行って見る。狐が出たら一刀のもとに切捨てる。」
「しかし、およしなさいませ。狐だって、こうらをへておりますと、剣術のわざばかりではとれるものではございません。」
「何を言うか。」
「いいえ。狐は化けまするでな。」
「化けていたらなお面白い。」
「狐が化けてると思って、人間をお切りになったらどうなさいます。そこの見分けがまた剣術ばかりでは出来ません。」
「ふーん。」と、柳太郎は考えこんでしまいました。そこで金十が言いました。
「では、今夜は刀の代りに棒を持っていらっしゃいませ。棒でしたら、人間をぶったってたいしたことはございません。」
 それもそうだということになって、その夜十二時すぎのことでありました。柳太郎は棒を腰にさし、一人大川の橋のとこへやっていきました。月があって、提燈はなくても道はよく見えました。橋の上に立って西や東を見て待つこと三十分にもならない時でした。遠くの方でこんこんという声がしました。
「来たぞ。あれは狐のなき声だ。」
 柳太郎は考えました。それで、棒を腰からぬいて、うしろに持ったまま川の面を見つめているようなふうをしていました。いざとあれば、すぐに棒で叩きつけようと考えたのです。
 と、また声がしました。こんどは大分近くなって、隣り村から来る道の方角だということがわかりました。その方を見張っていました。すると、あれ、百メートルばかりのところで、藁くろの側で、すっくと立上ったものがありました。黒い姿です。人間としか見えません。
「ははあ、化けたな。」
 柳太郎は思いました。それは川沿いの道をこちらの方へ歩きはじめました。だんだん近づいて来ましたが、腰に何かさしているようすは武士に化けたと思われました。
 ところが、二十メートルばかりのところへ来ますと、それが声を出しました。
「若様。」
 柳太郎は、はッとびっくりしました。だって、それは金十じいさんの声だったのですもの。でも柳太郎は懸命に落ちついて返事をしました。
「何だい。」
「まだ狐は出ませんですか。」
「出ないね。」
 そのとき、その金十はもう目の前に立っておりました。月の光ではっきり見えるのでしたが、全くどうも、金十としか思えません。しかもその金十がにやりにやりと笑っております。で、柳太郎は棒を後へ隠すように構え、怒った声で問いかけました。
「何で笑っているんだ。」
「いえ、若様が私を狐と思っていらっしゃると思いまして。」
「思ってる。思わないでおれるかッ。」
 大きな声でこう言うと、柳太郎はもう棒を真向からふり上げそうにしました。
「ま、まあ、お待ちなさい。それが剣術ばかりではいけないというところでございます。」
 金十のその言葉で、柳太郎は棒を下しました。そして言いました。
「では、狐でないという証拠を見せろ。」
「はて、困りましたなあ。まあ、よく見て下さいませ。金十にちがいありませんから。」
 柳太郎は立っているその金十のまわりを廻りました。肩から背中、尻の方までなでて見ました。尾っぽも生えておりません。
「それにしては、なぜ隣り村の方からやって来た。」
「こっちから来たのでは狐らしくないじゃありませんか。」
「では、鳴いたのは。」
「やっぱり、狐と見せかけようと思ったのです。」
「あすこですっくと立ったじゃないか。」
「それも同じでございます。」
「ふ、ふーん。」
「それに、ほんとは大旦那様が迎えにいって来いと申されました。」
 これを聞くと、柳太郎はやっと安心して、金十について家の方へ帰って来ました。ところが家の近くになって、ふっと金十が見えなくなりました。うしろにいたのがいなくなったのです。そして、遠くで、コーンと一声、狐のなき声が聞えました。
「しまったッ。」と柳太郎は思わず言いましたが、もう取返しがつきません。それですごすご家へ帰りました。玄関へつくと、そこにおじいさんが待っておりました。
「どうだった。」
「やっぱり狐に化かされてしまいました。」
 するとおじいさんが、大口あいて笑いました。
「金十狐だろう。あれはおじいさんがやったのだよ。狐ではないのだよ。な。剣術ばかりでなく、胆力ということも教えてあげようと思ったからだ。わかったかい。はッは。」

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