そこは東京のこうがい、ばくげきでやけた所もあり、残っている家もあるような町でした。そこで八郎くん達が遊んでいたのです。すると一匹の犬がかけて来ました。
「あれッ、この犬遠山くんちのサブじゃないか。」
藤村くんがいいました。それはポインターというのでしょうか。しもふりの洋服のような毛色をして、眼が西洋人のように青い大きな犬でした。
「どれどれ。」
そんなことをいって、みんなあつまって来ました。
「きみ、遠山くんちのサブかい。」
八郎くんが、犬の頭に手をおき、その顔をのぞきました。すると犬はみじかいしっぽをピンピンとふりました。
「ね、しっぽをふっているだろう。やっぱりサブなんだよ。」
藤村くんがいいました。
「そうかなあ。サブはもっときれいだったじゃないか。そしてもっと若くって、生き生きしていたよ。こいつ何だか、おいぼれて、きたない犬じゃないか。きっとノラ犬なんだよ。」
泉くんがいいました。
「そうだ。腹なんか見ろ。やせてダブダブだ。おなかがすいてるんだ。うっかりしてると、かみつかれるよ。」
牧夫くんがいいました。それで八郎は犬の頭にのせている手をそっとどけ、犬の口近くよせていた顔を後にひきました。しかし見ていればいるほど、サブにそっくりで、
「サブ、お前ほんとうにサブなんだろう。ね、きっとそうだろう。」
もう一度そういってみました。すると、犬はやはりしっぽをピンピンとふります。で、
「サブだよう。遠山くんちのサブだよう。」
八郎はどうしてもそう思え、またその犬の頭を両手でだいて、その顔を近々とのぞきこみました。すると、牧夫くんがまたいいました。
「だって、遠山くんがいなくなって、もう一年にもなるじゃないか。サブがこのへんにいるはずがないよ。」
「もしかしたら、しかし遠山くん、この近くへ帰って来たのかもしれないよ。」
八郎がいいました。それで泉くんや藤村くんやみんなで、サブだ、サブでないと口々にいい合いました。その末、八郎と藤村くんとは、
「これはサブだ。だから遠山くんはこの近くに帰って来ている。」
と、いい張りました。泉くんと牧夫くんは、
「これはどうしてもただのノラ犬だ。」
といってききませんでした。そして、
「じゃ、君たちこの犬の後をつけて行って見たまえ。遠山くんにあえるかもしれないよ」
泉くんがついにそういいました。じつはもう日がくれかかっていて、こんなノラ犬の後をつけて行くのは、誰しも少し恐いような時間でした。で、泉くんは、
「どうだ、行く元気があるかい。」
というように、こういったわけであります。
しかしそんな意味でいわれたのでは、八郎くんだまって引込んでいることはできません。で、八郎くんはすぐいいました。
「ああ、ぼく行ってみるよ。そして遠山くんを見つけ出してくるよ。ね、藤村くん一しょに行って見よう。」
ところが藤村くんはいいました。
「ウン、ぼく行ってもいいんだけれど、おそくなると、おかあさんにしかられるんだ。暗くならないうち帰らなけりゃ。」
「フーン、じゃ、ぼくだけ行って見るわ。明日どうだったか教えてやるからね。」
八郎はそういうと、今までだいていた犬の首のところをはなしました。すると犬は、トットと道をかけ出しました。泉くん、牧夫くん、藤村くんの三人はそこに立って見送りました。八郎は犬のあとから、小走りに出発しました。
すると、
「じゃ、行って来いよう。」
泉くんがいいました。
「あまり遠くへ行かないで帰って来いよ。」
藤村くんがいいました。八郎くんはちょっと後をふり向いて、一二度こっくりをしましたが、その時かなたでワンワン、ワンワン犬のはげしいなき声がしましたので、もうれつにかけ出しました。そして、
「サーブ、サーブ。」
とよびたてました。どうしたのでしょう。
前方に大犬が出で来たのです。まっ黒で、子牛のように大きい犬です。それにサブがほえかかり、とびかかるようにして向って行ったのです。黒犬はちょっと首をまげて、サブの方を見ましたが、
「おまえか、じゃあいてにならないよ。」
そんなようすをして、トットと足なみもみださず、かけて行ってしまいました。サブはそれを見ると、八郎のところへ帰って来て、安心したように顔を見あげ、しっぽをふって、また歩き出しました。それからサブ公は、そばに八郎くんがいるのを知ってか知らずにか、いかにもへいきのへいざで、トットットットと走りました。もっとも犬のことですから、あちらの電信柱、こちらの電信柱と、いたるところの電柱に小便を引っかけました。また方々にあるゴミ箱や焼跡のハキダメなどに鼻をもって行きました。そしてフンフンと大きな鼻いきをしました。そんな時八郎がそばにたち止って見ていますと、サブはジロッと横目で見て、またトットと走り出しました。八郎くんが走るのが苦しくなって、じっと前の方にかけているサブを、
「サーブ。サブサブ。」
とよびますと、それでもサブはその辺をノロノロして、あちこちをかぎまわり、また八郎の所に引返したりしました。で、そうして走っているうち、それでももう一キロ以上、そう一キロ半も来たでしょうか、だんだん八郎くんのしらない町の方にやって来ました。
もう少し日がかたむきかけて、空がまっかに夕やけていました。八郎くんは少し心ぼそくなりました。苦しくもなったのです。いつまでのサブについて行ってたら、どこまでつれて行かれるかわかりません。それもほんとうに遠山くんちのサブならよろしい。どこの犬かわからない犬に、わからない所へつれて行かれたら、どうしましょう。今までは遠山くんにあえるかもしれないとおもって、いっしょうけんめいにかけて来たのです。だけどもこのようすでは、このサブ公、もしかしたらニセのサブかもしれません。困ったなあ。
八郎がそう考え出した時でした。サブが坂道の下りかけの大きな屋敷に入って行きました。そこは病院だったのか、それとも役場のような所だったのか洋館らしい焼跡でした。庭が広くて、まわりをとりかこむ木がまだたくさん残っていました。そして青い若葉の枝を風に吹かれておりました。その中に実に珍しく、桜の花が美しく咲いていました。その花の下の方へ、サブはかけて行きました。八郎もついて行きました。すると、花の下に、壕舎のあとでしょうか。石やれんがをつみあげて、半分地下室のようなものが残っていました。サブはそこまでかけて来ると、その壕のまわりを一まわりし、そこから入口の所にじっとしりをすえました。八郎くんはふしぎに思い、
「サブ。」
そうよんでみました。サブはしかし知らん顔をしております。もう他人のような冷たい表情です。サブはサブで何か考えることがあるのでしょう。
「サブ、どうしたんだい。」
八郎くんがそばに立ち、顔をのぞきこんでききましたが、サブ公、しっぽもふらなければ、八郎の方を見ようともいたしません。あごをつき出して平然たるものです。八郎くんを意に介せずとでもいうようなありさまです。
「いやだなあ。今まで一しょに来たのに。遠山くんどこにいるか、サブ公、知らないのかい。」
そんなことをきいてみても、犬ですから答えるはずもありません。
「いやなサブ公、じゃぼくもう帰るよ。もう知らないよ。いいかい。」
そんなことをいいましたが、やはり平然、知らぬ顔をして見むきもしません。風は吹いてても、近くに人がいないのか、静かな日暮れです。桜の花が一二輪まい落ちて来ました。
「しかたがないなあ。こんな所までかけて来て、全く損しちゃった。帰り道わかるかしらん。」
そんなことをいいながら、八郎くんはそこから引返しました。二三度後を見ましたが、サブは身動きもしないで坐りつづけていました。
その明くる日のことです。日曜日なもので、早くから八郎くんたちは道ばたで遊んでいました。泉くん、藤村くん、牧夫くん。八郎くんが、昨日の話をみんなにしたのはいうまでもありません。すると、どうでしょう。その話がすむかすまないうちに、またサブがやって来ました。昨日のことなど、私は知りません―というように平気でかけて来ました。
「サブサブサブ。」
藤村くんがよびました。サブがしっぽをふりふり藤村くんの方へよって行きました。
「ダメだよ、藤村くん、こいつニセのサブだよ。」
八郎くんがいいましたけれども、藤村くんは何を考えてか、サブの頭を、かかえるようにして、
「ねえ、サブ、おまえはほんとのサブだろう。そうだろう。」
そんなことをいっていました。そして、
「今日は早いから、ぼくこのサブの後をつけて行ってみようか。どうしてもこいつサブだものね。もしかしたら遠山くんにあえるかもしれない。」
そんなことをいい出しました。
「ウン、行って見ろ。そして遠山くんを見つけて来てくれ。」
八郎くんがすぐいいました。で、藤村くんがサブを追うて行くことになりましたが、どうしたというのでしょう、サブがかけ出して行かないのです。いつまでも藤村くんの前や八郎くんの前にいて、その顔を見あげて、ピンピンしっぽをふっております。
「どうしたんだい。何かほしいのかい。早く遠山くんちへ帰らなきゃ、おれたちが困るじゃないか。」
藤村くんがそういって、とうとうそこにあった棒を拾ってふりあげました。八郎くんもシッシッと後を追い立てました。で、サブはしかたなくかけ出しました。藤村くんがにこにこ後をふり向きふり向き、サブについて走りました。ところが今度は、サブの道がちがって来ました。昨日とは反対の方に走って行くのです。昨日は南に行って、西へ曲がったのに、今日は北へ行って、東へ曲ります。
「あれえ。」
藤村くんはそういいながらも、しかしついて行きました。どれくらいついて走ったでしょうか。一キロ、二キロ、三キロ、そうです。三キロばかりも走りました。それも町の焼跡ばかり走ったのです。そうすると、サブはキリスト教の教会堂の焼跡のような所へやって来ました。いや、ような所ではありません。そこは全く教会堂のあった所です。れんがの白いかべが一枚、塔の形に残っていました。その上には金の十字架がお日さまに光っていました。その他にただ白いれんがのかべは方々に残り、そこに日光がさし込んでいました。それは何か明るく、しかし気味のわるい光景でした。そんなかべのかげに、黒い布を頭からかぶったカトリック旧教の尼さんが、かくれてお祈りをしているのではないかと、藤村くんには思われました。いや、あれは黒い布ではない。白い布を冠っていた。―藤村くんはいつかどこかで見たそんなキリスト教の尼さんのようすを思い浮かべ、その教会堂の焼跡を、あっち、こっちと見まわしました。
ところで、サブは―
サブはその石やれんがのくずれ落ちた焼跡に入ろうとはせず、そこの入口の高い石段の上にのぼって前はげんかんの戸のあったと思われる所に、じっとまたしりをすえてしまいました。そうして、八郎くんにしたように、藤村くんに知らん顔をしてしまいました。人間とちがって、ことばのわからない犬のことですから、こうなってはどうすることもできません。藤村くんは二三十分その石段に腰をおろして待ってみましたが、やはりサブがしりをあげようとしないものですから、チェッと舌うちをして、そこから立ちあがり、みんなの所へ帰って来ました。
「ダメだよ、あれは。どういう犬なんだかぼくにはわからない。もしかしたら、サブがとしをとって、少しバカになってるんだよ。」
藤村くんはそんな事をいいました。しかしその後もサブはよくやって来て、みんなの前でしっぽをふり、何となくなつかしそうなようすをしました。それでいつのまにか、みんなはサブサブとよびならし、頭をなでたり、背中をさすったりしてかわいがりました。そしてその後、遠山くんはどうしているだろうと話し合いました。で、たびたびサブを見、たびたび遠山くんの話をしているうち、みんなはますます遠山くんにあってみたくてたまらなくなりました。それで、初めはサブじゃないなんていってた泉くんがある日そのサブを見ると、
「三度目の正直って言うから、今日ぼく、このサブ公の後をつけて遠山くんをさがして来よう。」
そんなことを言い出しました。そしてサブサブとよびたて、サブをスタートさせてからその後について走って行きました。みんなは、
「さあ、どうかな、またサブにだまされるんじゃないかな。」
そんなことをいってまっていました。すると泉くんは三時間ばかりで帰って来ました。
「帰った、帰った。」
と徒歩競争の選手が帰ったようにいって、みんなはその泉くんを迎えましたが、
「ダメ、やっぱりダメ。」
そういって、みんなを失望させました。きいてみれば、サブは四キロもある遠い川岸の方まで泉くんを引っぱって行って、そこの大きなふちのそばの一本の木の下にうずくまってしまったというのです。そして三十分、四十分しても動かなかったというのです。それで、
「あきれたねえ。どんな気持だろう。」
八郎くんがいって、みんなを笑わせました。しかしこうしてサブが変った所、ちがった所へ案内して行くので、こんどはどこへつれていくかと面白くなり、次の日、牧夫くんが後をつけることになりました。で、牧夫くんはどんな所へ行ったでしょうか。
それが何と五キロもある遠い郊外の木の茂った墓地の中だったのです。しかも割合新しいお墓の前に、サブは坐って動かなかったというのです。そのお墓には、
蜂谷ちょう子墓
と書いてありました。これをきくと、みんなは、口々に、
「なあんだい。あいついよいよニセ犬だ。ニセもニセ大ニセ犬だ。」
といいました。
しかしその晩、八郎くんは床について、遠山くんと遊んだ頃のことを思い出していると、サブの姿がありありと頭に浮び、それがどうしても昨日今日見るサブにそっくりでした。でまたみんなに相談して、こんな木の札をサブの首輪につけることにしました。
「遠山三郎くんのところを知らせてください。」
そして次に自分の名と、所番地を書きました。それから何日待ったでしょう。みんな、
「どうだろう。どうだろう。木札が無くなってたらそれが遠山くんか、その親類の所へ届いたしょうこだ。」
と言って、サブを気をつけておりました。
ところが、それから一週間ほどして、やっとサブを見つけ、ソレッというところで追いかけてみましたら、首の木札が無くなっていました。で、
「有望。有望。」
とみんなは明るい気持になりました。しかし、それからまた一週間ばかりしましたが、どこからも何のしらせもありません。
「やっぱり―。」
なんていってると、日曜の朝のこと、サブが新しい木札をつけて通りかかりました。
「来たッ、サブ公、変な木札をつけてるぞ。」
見れば、
「香川県小豆郡苗羽村、遠山鶴八方、遠山三郎」
と書いてありました。思わず、
「ワアーッ。」
と、みんなは声をあげました。それから、みんなで、遠山くんにあて手紙を書くことにしました。サブについて遠山くんをさがしたことをみんなそれぞれ書きました。
それから三週間程しました。いよいよ八郎くん内で、四人にあて遠山くんの手紙が来ました、それを次に書いておきます。
「お手紙ありがとう。ぼくは涙が出る程うれしかった。サブが生きていることもうれしかったが、ぼくをそんなにしてさがしてくれたこともうれしかった。おかあさんと二人でお手紙を何度も何度も読みました。ぼくの今いる所は瀬戸内海の小豆島という島の中の一つの村です。毎日波の音をきき、毎日帆かけ船のすべって行く海を眺めております。
ところで、サブがまだそうして生きていようとは思いがけないことでした。サブが始め八郎くんと行った桜の花の咲いてる屋敷というのは、大空襲でぼくの家がやけた後一月ほどぼくたちが暮した所でした。藤村くんが行った教会堂というのは、姉さんがいつもサブをつれて、日曜日に礼拝に行っていた教会堂です。泉くんがサブに案内された淵は、ぼくがサブをつれて釣りに行った所です。終に蜂谷ちょう子の墓は、あれはぼくの妹の墓です。おばさんの家に貰われていたので名字がちがっています。でもサブがこうしてぼくたちのことを毎日忘れずにいて、今にそうしてぼく一家のものの後をたずねまわってくれているかと思うと、あわれで、あわれでどうしていいかわかりません。どうか、きみたちで、できるだけ、サブをかわいがってやってください。
言い忘れたが、みんな変りありませんか。ぼくの家では妹が死んだきりで、父も母も、弟もこちらに来て、たっしゃでおります。父はここの島の戸の庄という港で、小さな発動機船に乗って、高松や岡山の間を往ったり来たりしております。また手紙を書きますが、うれしいまま、とにかく大急ぎで書きましたので、書き落としたことがたくさんあるような気がします。さようなら―。」
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