ノートルダム清心女子大学 2年 Y.C.
私は、三平が祠の中のコオロギを神様だと思って手を合わせる場面が特に印象に残っている。私がその場面を読んだとき、とある幼少期の記憶を思い出した。
私と同居していた祖母は、熱心な仏教徒である。私と祖母は、よく週末にお墓に行ってお参りをしていた。お墓の近くにはお地蔵様が6人ほどおり、彼らにもお参りをすることが私たちのお決まりの流れだった。祖母は6人のお地蔵様にまとめて手を合わせるのに対して、私は一人一人のお地蔵様に手を合わせてお参りをしていた。当時の私は、面倒でもお地蔵様1人1人に頭を下げることが礼儀だと思っていたのだと思う。
三平の行動も、私の幼少期の行動も、大人からしてみれば、わざわざそのようなことをして何の意味があるのかと思うだろう。現在大学生の私も、同じことをするのは憚られる。私たちは大人になるにつれて、何事も意味を見出さなくてはならないという考え方に変わったのだと、この作品を読んで気づかされた。そんなわけないと思うことも、もしかしたらと想像するところが子供特有の魅力であると思う。この作品は、善太と三平のありふれた日常を描いている。しかし、私たち大人の目線で読むと、もう戻れない思い出や考え方が、キラキラと宝物のように輝いて思えるような気がする。
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