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<坪田譲治作家研究>坪田譲治と小泉八雲・柳田國男とのつながりについて

[2020年6月19日]

ID:22796

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坪田譲治と小泉八雲・柳田國男とのつながりについて

 ノートルダム清心女子大学 4年 渡邉貴子


 坪田譲治(1890-1982)と小泉八雲(1850-1904)、柳田国男(1875-1962)は私が大学に入学して知った人たちである。 
 坪田譲治と小泉八雲は、それぞれ別の講義で知った。坪田譲治は近代文学の講義で、地元岡山の作家であることや「童心浄土」という考えをもって童話を書いていることに魅力を感じていた。小泉八雲を知ったのは、英語の授業で扱ったテキスト『STRANGESTORIES』(『怪談奇談』南雲堂 初版1950年)によってだった。もともと妖怪や神様など日本の民俗学に関することに興味があったので、『怪談』をはじめとする小泉八雲の作品に心惹かれて幾つも読んだ経験があった。
 その二人について、ある日坪田譲治の経歴について学んだとき、坪田譲治が大学の卒業論文で「小泉八雲論」を書いたことを知った。二人にこのような接点があると知った私は、驚きと共に今までより一層関心を持つようになった。
 柳田国男についても大学に入学してから知ったが、こちらは柳田国男の名が記された現代作家の本を読んだことがきっかけであった。日本民俗学の祖と言われた柳田国男にも、民俗学に興味があった私は、関心を持ち始めていた。私自身、卒業論文の題材として坪田譲治と小泉八雲の二作家の関係について考え進めていたが、調べていくうちに柳田国男も坪田譲治に深く関わっていることを知った。
 そこで、小泉八雲、柳田国男から坪田譲治への何らかの影響が坪田作品に見られるのではないかと思い、現在取り組み始めている卒業論文では、坪田譲治における小泉八雲、柳田国男の影響について扱うことにした。
 よってここでは、三人の関係を中心に紹介したい。

 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、1850(嘉永3)年ギリシャのレフカダ島に生まれた。1885(明治18)年、アメリカで新聞記者の仕事をしていた小泉八雲は前年よりニューオーリンズで開催されていた万国産業綿花百年記念博覧会の記事を担当していた。博覧会には日本からの展示も行われており、小泉八雲はこの日本館の展示に惹かれたのをきっかけに日本への興味を抱くようになる。
 1890(明治23)年に来日した小泉八雲は英語教師として松江や熊本の学校へ赴任している。さらに1896(明治29)年には、現在の東京大学文学部である帝国大学文科大学で、1904(明治37)年からは早稲田大学の講師としてその教壇に立った。
 このとき、後に坪田譲治の先輩となり執筆活動をする上で関わりを持つようになる小川未明が早稲田大学に学生として籍を置いていた。
 『小泉八雲事典』(2000年 恒文社)によると学生時代の小川未明は、「八雲の作品で初めて読んだのは(中略)『怪談』で、それに心を惹かれ、八雲の崇拝者となり、「ラフカディオ・ハーンを論ず」という卒論を提出した」とある。さらに、同事典では、小川未明が小泉八雲の講義を受けたのは「たった四カ月に過ぎ」ず、直接接触した期間は非常に短かったことが分かる。それにも拘わらず小川未明は卒業論文の題材として取り上げ、さらには卒業後、「『早稲田学報』に、八号にわたって」小泉八雲について取り上げ発表したとされている。
 以上のことから、小川未明は小泉八雲と直接関わりを持った期間こそ短かったものの、『怪談』や講義から受けた影響、関心は多大なものであったといえる。
 小泉八雲は早稲田就任の同年に亡くなっており、坪田譲治は1908(明治41)年より早稲田大学に入学している。坪田譲治と小泉八雲は同じ早稲田でも直接関わりを持つことは無かったが、坪田譲治の早稲田大学の先輩であり、先生と慕う小川未明を介してその影響を受けたことは、坪田譲治が卒業論文で「小泉八雲論」を書いていることから明らかであるが、卒業論文の現物が残されていないため、坪田譲治の論じた観点や創作上の影響は推測するしかない。
 早稲田在学中から執筆活動を始めていた坪田譲治は大学を卒業しても作品を手掛け続け、初期作品である「正太の馬」「正太の故郷」などを発表し、その後も「お化けの世界」「風の中の子供」「子供の四季」など数多くの作品を世に送り出した。
 ここでもう一人、柳田国男について述べていく。柳田国男は1897(明治30)年から帝国大学法科大学に入学し、1901(明治34)年から3年間早稲田大学で講師を務めている。
 小泉八雲の経歴と照らし合わせて見ていくと、柳田国男が帝国大学在学中に小泉八雲が同大学で教鞭をとっており、さらに早稲田大学で二人が同時期に講師をしていることが分かる。小泉八雲と柳田国男が直接会ったかどうか確認はできないが、『柳田国男事典』(1998年 勉誠出版)には二人の関わりに関して以下のように述べられている。


 明治三四年(一九〇一)から明治三七年(一九〇四)の間、柳田もハーンも早稲田大学の講師を務めているため、講師控室等で面識を持った可能性も否定できない。また、柳田が学生時代に同じ東京帝大で講師を務めていたハーンの講義を聴講した可能性も指摘されている。

 さらに、同事典では、次のような交流についても指摘されている。


 大正四年(一九一五)九月二六日に松江市で八雲会第一回が開催された時、偶然(中略)同市に滞在していた柳田は、自ら進んで同会に出席し、ハーンについて好意的なスピーチをおこなったといわれる。また、ハーンの長男小泉一雄との文通が確認されている。

 以上のことから、直接会っていた可能性は十分に考えられ、柳田国男が小泉八雲に対して関心を持ち、好意的であったことが分かる。
 坪田譲治は自身の全集(『坪田譲治全集11巻』1977年 新潮社)「あとがき」のなかで、「柳田国男先生にも何度かお目にかかりました(中略)貴重な古い本をくださったのです」と述べており、柳田国男と直接面会していたうえ、本を譲り受けたりしていることが分かる。同書にはさらに、「青年のころからむかしばなしに興味をもっていました。そのきっかけとなったのは、佐々木喜善の『江刺郡昔話集』でありました」と述べている。『江刺郡昔話集』とは、1922(大正11)年に刊行された作品である。著者である佐々木喜善は柳田国男と早稲田大学在学中に知り合っているため、そのことを知った坪田譲治が柳田国男に関心を持ち始めたのも、この頃からだったのではないかと考える。1943(昭和18)年、坪田譲治は自身の初の昔話集『鶴の恩返し』を刊行しているが、これは各地の民話や慣習を研究していた柳田国男の影響によるものだと思う。
 このように坪田譲治と小泉八雲、また柳田国男の三者はそれぞれ深く関わっていることが分かる。
 
 さて、坪田譲治は、こうして先ほど挙げた1943(昭和18)年の『鶴の恩返し』をはじめ、多くの昔話を再話していることは注目に値する。ただし、私はそうした再話文学のみならず、譲治自身の童話のなかに昔話が織り込まれていることにも興味を抱いている。坪田譲治は、「青年のころからむかしばなしに興味をもっていた」と述べ、再話を本格的に手がける以前からも、「蜃気楼」(『東京朝日新聞』昭和9年10月4日)や「甚七おとぎばなし」(『少国民文化』昭和17年11月号)など、数多くの童話作品の中に昔話の要素を取り入れ書いてきた。これらの昔話を取り入れた童話を読んでいると、浦島太郎や猿蟹合戦など馴染みのある昔話の要素が入っていることを懐かしいと思うのと同時に、初めて読む童話でも親しみを持つように感じる。そして、そうした童話を書いた坪田譲治の意図についても、知りたいと思わないではいられない。
 そうして各作品を読んでいると、登場人物が昔のような信仰心は近代化の進んだ今では失われたと語る場面がいくつか見られる。そう語るのは、主にお爺さんが孫や子供たちに対して言うことが多いが、これは、人を化かす狐や河童が信じられていた頃、自然に囲まれた岡山の島田で育った坪田譲治自身の言葉ではないかと思う。今では存在を信じられなくなったものたちが昔は信じられており、科学が進んだ今では誰もそれらを信じる心も持たなくなって、自然への信仰心も薄れてしまったというメッセージを、坪田譲治自身が作中のお爺さんの言葉に託して、子供たちや読み手である私たち現代人に語りかけているような気がしてならない。
 坪田譲治のこういった考えは日本人の自然を信仰する心や古き良き日本の文化を愛した小泉八雲が日本の近代化と共にそれらが失われるのを嘆いたのと共通している。この小泉八雲の考えを卒業論文での研究を通して自らの考えとし、昔の日本の良さというものを再確認し同時に近代化に対する懸念を抱くようになったのだということが推測できよう。昔話に興味を持ち、作品を手掛ける上で柳田国男から民話や昔話についての知識を得たのも、そういった考えがあったからだと考える。
 かつて存在した自然に対する信仰心やそこから生まれた文化そのものである昔話を自らの手で新しい作品に生まれ変わらせることで現代の子供たちに自身の作品を通して古き良き日本について伝えたかったのではないだろうか。


 引用文献
 ・『小泉八雲事典』(2000年 恒文社)
 ・『坪田譲治全集11』(1977年 新潮社)
 ・『柳田国男事典』(1998年 勉誠出版)
 参考文献
 ・小泉時、小泉凡『文学アルバム 小泉八雲』(2008年 恒文社)

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