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<坪田譲治作品紹介>「おじさんの発明」

[2020年6月19日]

ID:22769

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おじさんの発明

 (初出  雑誌『少女の友』昭和13年4月号)
 (収録本 『坪田譲治全集 第8巻』 新潮社)
 
  ノートルダム清心女子大学 4年 香川祥子 
 

 私は大学の授業で坪田譲治について学ぶまで、坪田譲治が岡山出身の作家であるということと、「坪田譲治文学賞」の存在についてしか知りませんでした。そして授業を受けてみて、坪田譲治は児童文学を書いている作家だということを知りました。私は卒業論文で児童文学を取り扱いたいと思っていたので、坪田譲治の童話に興味がわきました。
 そのなかでも童話「おじさんの発明」は、弟の善太と姉の美代子の二人が登場し、子供時代の二人と、大人になってからの二人の様子が書かれていて注目されました。しかも、その二人の子ども時代と大人時代との両時代において、「おじさん」のユニークな発明をめぐって、話が展開する作品です。
 その「おじさん」とは、機械や薬、お話を発明する発明家のおじさんでした。作品の前半では、二人の子ども時代の次のような出来事がありました。ある日、弟善太が、おじさんに、いくらでもお話をしてくれていくらでもお話の絵を映してくれる機械を発明してほしいと頼んだのです。それは、蓄音機と映画の機械を一緒にし、なおかつ毎度違うものを話して映すという、現代でも発明されていないような機械です。
 一週間がたち、善太と美代子は、もう機械が出来たかと、おじさんの元へと向かいました。おじさんは「フフフン。」と自信がありそうに笑って箱を見せ、完成していないけれども、辛抱して聞くと話になってくると言って動かし始めるのでした。しかし蓄音機は何も聞こえず映画も何も見えないのでした。おじさんは「まあ、もう少し機械を改良してからのことだな。」と言っていたので二人もおじさんはこの機械を完成させようとしてくれているのだと期待しながら、そのあとどうなったか忘れるほど月日がたちました。
 それから二十年がたちました。善太も美代子も大人になり、それぞれがお父さん、お母さんになっていました。もちろん、おじさんも白髪のお爺さんになりました。
 善太はふと当時のことを思い出しましたが、機械はどんな話をし、どんな映像を写し出したのかを思い出せませんでした。そのことを言うと、美代子は、善太のイタズラの思い出話である「ガマの話」だったことを思い出したと言い張るのです。善太はどうしても信じることができず、姉にからかわれたのかと思っていました。そうして二三日考えた善太は、その機械の話は、美代子がイタズラっ子だったという思い出の「美しき少女の木」の話だったことを思い出して、こっちが本当だと言い張りました。しかし美代子もこの話を信じることができず、二人でおじさんに真偽を確かめに行きました。するとおじさんは話の機械なんか造らなかったと言いました。確かに本文中には、おじさんが機械を完成させたという記述はありません。よっておじさんは機械を完成させることはなく、善太と美代子が思い出した話というのは二人が自分で考えたか、子供の頃の記憶や思い込みが入り交じった話であるということがわかります。
 二人はおじさんの話を聞いても特にがっかりした様子もないことから、一生懸命考えているうちに機械が完成したかどうかではなく、幼い日の印象を心に映し出した満足感と当時のわくわく感を感じているのでしょう。つまり、おじさんの不思議な発明の機械をめぐって昔のことを思い出すきっかけとなったのです。それがイタズラの話だったということから、子供の頃のイタズラというのは、大人になっても私たちに独特の印象をもたらしてくれるものなのでしょう。
 作品の最後には、作者と思われる「私」が、「幼い善太君、美代子さん、イタズラをしないように、幼少年少女の時代を大切にして、立派な人におなり下さい」と言っていますが、私も、子供時代にあったイタズラの記憶をふと思い出してしまいました。

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