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バケツの中の鯨

[2020年6月18日]

ID:22592

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バケツの中の鯨

 良ちゃんはまだ六つですが、なかなかえらい子です。人が、
「坊ちゃん何というお名まえ?」と聞きますと、
「伊丹良介。」と、兵隊さんのように答えます。
「お父さんは?」と聞きますと、
「伊丹春慶(はるよし)。」と、声を高くして答え、
「ぼくのお父さんはお医者さんだよ。自動自転車を持ってらあ。」といばります。
「へえ。」と、感心して見せますと、良ちゃんはますますいばって来ます。
「ぼくも大きくなったら、お医者さんになるんだ。お医者さんになったら、自動車を買うんだ。」
 ある日のこと、町から叔父さんがやって来ました。
「良介さん、大きくなったね。」
 良ちゃんは叔父さんからこう言われると、もう何かやって見せないではいられなくなりました。
 そこで返事もしないで、すぐ座敷のえんがわの柱にだきついて、上へのぼっていきました。
「良介、そんないたずらをするんじゃないよ。」とお父さんが叱りましたが、一とう上までのぼりつきました。叔父さんの方をふり向くと、叔父さんは笑っていました。
「叔父さんは上れる?」と大得意です。
「のぼれないよ。叔父さんにはとても上れない。」
 良ちゃんはそれを聞くと、下にすべり下りて、叔父さんの肩先からのぞきこみました。
「叔父さん、ぼくァ松の木だって上れるよ。」
「ふうん、屋根よりもたかいあの松の木へ?」
「のぼれるさ。のぼって見せようか。」
「もういいよ良介さん。わかったわかった。きみにはかなわないよ。」叔父さんが降参しました。しかし良ちゃんは、松の木に上りたくてたまらなくなって、縁がわからはだしで下りようとしかけました。姉さんの春子さんがかけていって、良ちゃんを抱きとめました。
「だめよ、良ちゃん、あなたなんかに上れやしませんよ。」
「ウウウン、のぼる。のぼる。」と良ちゃんはあばれました。春子さんのうでの中でじだんだをふみました。もう少しで泣き出すかもしれません。良ちゃんが泣いたら、それこそもう手のつけようがないのです。お母さんは良ちゃんのへんな声を聞いて奥から出てきました。
「良介。」
 お母さんはお饅頭を二つ持って来ました。
「さ、これをあげましょう。叔父さんのお土産よ。叔父さんにいただきますってお言いなさい。」
 でも良ちゃんには、そんなことは、はずかしくて言えません。ただいきなりお母さんの手から饅頭をたたき落すように取って、一つすぐ口の中へおしこみました。おしこむと、あまりうれしくないこともないので、ひとりでに笑い顔になりました。そこをねらってお母さんがうまくだましました。
「良介、姉さんとおさかなを釣りにいっていらっしゃい。春ちゃん、良介をつれて、ちょっと遊んで来てちょうだいな。」
 春子さんはすぐに縁がわの隅に立てかけてあった釣ざおをとって来ました。
「良ちゃん、さ、魚をとりにいきましょう。あすこの橋の下に魚がどっさりいるわよ。おとなりの新ちゃんは昨日あそこで、ハヤを三十も釣ったんですって。」
 こう言われると良ちゃんはもう、松の木のことも、叔父さんのことも忘れて、魚のことを考えていました。
「だけど、姉ちゃん、ぼくハヤはいやだなア。」
「じゃア何がいいの。」
 良ちゃんは、だまって、にっこりしました。考えてることを言うのがはずかしいのです。
「え、何がいいの。」とまた姉さんが聞きました。
「タコなんかつれない?」
「あら、タコを?」と姉さんは笑いました。
「タコだって釣れるさ。」
 お父さんが大真面目で言いました。で、姉さんは笑い笑い良ちゃんの手を引いて、縁がわからお玄関の方へ出ていきました。
「お父さん、鯨は?」と、良ちゃんは玄関から聞きました。
「鯨だっているよ。」
「ふうん。じゃア、ぼく、鯨をとってくるよ。」
「ウン、鯨をとっておいで。」
「たくさんとって来てもいい?」
「いいとも、いくひきでもとっといでよ。」
 叔父さんは笑い出して、
「おい、良ちゃん、鯨をとるって、とれたら何に入れてもって帰る?」と玄関へ出ていきました。
「なぜ?」
 良ちゃんはふしぎそうな顔をしました。春子さんは小さなバケツをもっています。
「これに入れてくるよ。」と良ちゃんはそのバケツを指さしました。
「だって、鯨ってば、この家ぐらいある大きな魚だよ。」
「大きかったら、引っぱってくればいいや。」
「あばれたらどうする。」
「あばれたら、ぎゅっと首をつかまえれば、すぐおとなしくなっちまうよ。」
「だめだめ。良ちゃんこの刀をもってかなくちゃ。とったらすぐ刀で切っちまうんだね。」叔父さんはそばにあった玩具の刀を、良ちゃんの腰にぶら下げてやろうとしました。
「いやアん。」
 良ちゃんがおこりました。良ちゃんはこの一ことでだれをでもやっつけてしまいます。しかし叔父さんはそんなことでは降参しません。
「だめだめ。」と言いかえしながら、なおも刀をぶら下げにかかりました。すると、良ちゃんはいよいよおこって、その刀をすらりとぬきはなしました。
「切るぞう。」
 これには叔父さんも閉口しました。
「降参降参。降参したよ。じゃあ、良ちゃん、叔父さんに鯨を一ぴきとってきておくれよ。ね。」
「うん。」
「きっととって来てくれる?」
「うん。」
 良ちゃんは大きくうなずいて、春子さんといっしょに出ていきました。
 それから三十分もたったか、たたないうちに、良ちゃんはしょんぼりと帰って来ました。
「ただいま。」
 その声を聞くと、叔父さんがすぐ座敷から声をかけました。
「良ちゃん、鯨は?」
 良ちゃんは返事をしません。玄関を上って座敷へバケツをもったままやって来ました。
「鯨はどうしたんだ。おい、鯨は。」
 叔父さんがバケツをのぞいて見ますと、底の方に水が少しはいっていてメダカが三びき泳いでいます。
「おい、良ちゃん、叔父さんは鯨を食べようと思って待ってたんじゃあないか。」
 良ちゃんは出かけるときの勢にも似ず、バケツをえんがわに置くと、すぐ奥の方へ行って、お母さんに何かおねだりをはじめました。そして何度か「いやアん。いやアん。」と大きな声をした後「いやだア。いやだア。」と言ってあばれました。そして、その後はいつものように、こたつにもぐってねてしまいました。それから二時間も昼寝をすると、ぱっちり目をさまして、
「叔父さんは?」と聞きました。
「叔父さんはもうお帰りになったよ。」
 お母さんの言葉を聞くと、また「いやアん。」と大きな声をしました。そして今にも泣き出しそうになりました。お母さんは、
「そうそう、良ちゃん、叔父さんがね、かえったら良ちゃんに鯨を送ってあげるとおっしゃったよ。」
 これで良ちゃんのきげんも直りました。そしてしばらくこたつにねていてから、姉さんの勉強しているところへ行っていばりました。
「姉ちゃん、ぼく鯨を送ってもらうんだよ。叔父さんが帰ったらすぐ送ってやるって。鯨はこの家ぐらいあるんだよ。とっても大きいんだよ。」
 これを聞いて、春子さんと下のお姉さんが笑いました。笑ってもかまわず良ちゃんはいばりました。
「鯨はこの家の十倍もあるんだから。ぼく送ってもらうんだ。鯨はあすこの山より大きいんだよ。山の十倍もあるんだよ。ね。ね。ね。」

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