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岡山歴史のまちしるべ多言語版(C18山羽虎夫工場跡)

[2019年9月2日]

ID:18391

Former site of Torao YAMABA’s plant

山羽虎夫工厂旧址

山羽虎夫工廠遺址

야마바 도라오 공장 터

山羽虎夫工場跡

Former site of Torao YAMABA’s plant

Torao YAMABA (1874 - 1957) ran an electrical appliance plant in this area. In response to a request from Fusazo MORI and Kentaro KUSUNOKI, he produced the Yamaba-style steam car in April 1904 and conducted a test-drive in the following month.
Because of a problem with its tires, the model was not put into practical use, but it was the first car with all the components from the body to the engine made in Japan.

山羽虎夫工厂旧址

山羽虎夫(1874-1957)曾在此地经营电气机械工厂,他曾接受森房造与楠健太郎的委托,于明治37年(1904)4月制作了“山羽式蒸汽汽车”,并于次月进行了首次试乘。
因为轮胎问题,“山羽式蒸汽汽车”未不能实现量产使用,但这是我国从车身至发动机均为纯国产制造的第一辆汽车。

山羽虎夫工廠遺址

山羽虎夫(1874-1957年)在這個地方經營一家電機工廠,因受到森房造和楠健太郎的委託,於明治37年(1904年)4月製造了「山羽式蒸汽汽車」,並於次月進行了試駕駛。
由於輪胎的問題,未能將其投入實際使用,但它是日本第一輛從車身到引擎全部為純國產製造的汽車。

야마바 도라오 공장 터

야마바 도라오(1874-1957)가 이 지역에서 전기공장을 운영하고 있었으나 모리 후사조와 구스노키 겐타로의 의뢰를 받아 1904년 4월 ‘야마바식 증기자동차’를 제작하고 그 다음 달에 시운전했습니다.
타이어에 문제가 발생하여 실용화되지는 못했으나 일본에서 차체부터 엔진까지 순국산으로 제작한 자동차 1호였습니다.

山羽虎夫工場跡

山羽虎夫(1874-1957)は、この地で電機工場を営んでいましたが、森房造と楠健太郎の依頼を受け、明治37年(1904)4月「山羽式蒸気自動車」を製作、翌月に試運転を行いました。
タイヤのトラブルにより、実用化には至りませんでしたが、これは、我が国で車体からエンジンまで全てを純国産で製作した自動車第1号でした。

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政策局政策部事業政策課

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