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第38回市長と大盛トークを実施しました

[2023年6月7日]

ID:50040

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開催日:令和5年5月9日(火曜日)
開催場所:木下利玄生家(北区足守)
テーマ:地域の歴史や魅力と融合したまちづくりについて
 
主に市政の重点課題・施策について分野や業種、テーマを選定し、市民の皆さんや関係者の方々と市長が膝を交えて語り合う「市長と大盛トーク」。
今回は、足守地区の5名の方々と、「地域の歴史や魅力と融合したまちづくりについて」をテーマに意見交換を行いました。

大森市長の挨拶

市長と大盛トークの様子

本日はどうもありがとうございます。
今、岡山城のリニューアルで宇喜多家を中心としたストーリー作りが相当上手くいっていて、瀬戸大橋開通の時をもう超える勢いで入っていただいています。
それから造山古墳と千足古墳を整備しましたが、そこも多くの方が来られています。吉備の国というものを我々なりに整理をして今、世の中に訴えているところです。
それぞれの町にいろいろな資源があります。私はこの足守自身が岡山の中でもユニークな地域で、非常に地元の方が誇りに思っていると感じています。
その足守をどうプレイアップしていくのか、我々としてできることをやっていきたいと思っています。
この木下家、そして足守をどのように考えてどこをどうしていけばいいのか、地元の方からお話をいただければ。

地元足守について

市長と大盛トークの様子

(参加者)我々としては、歴史と文化のまち、そして自然環境というのが、岡山市の中で一番自慢できると思っていますが、調整区域になっているため、住宅が建てにくく、そういう中で児童数もかなり減ってきています。
また、いろいろな史跡があり、秋には紅葉するので、歴史の探索で観光客が非常に多くこられますが、そのほかの季節は非常に観光客が少ない。
そういった面で、昨年は岡山市が巡回バスで歴史をめぐるツアーなどを実施されましたが、今後も継続していただきたいなと思っています。
我々も地域の活性化、そして若い人の住みやすい地域を作っていきたいと思っていますが、そのためには、ある程度の地域整備も必要ではないかと思っています。
足守の幼稚園が今度こども園になり大井へ合併しますが、その中で今の園舎をどのように使うかを考える必要があります。やはりあれだけの立派な幼稚園なので、地域の皆さんとも話し合いながら、岡山市としてどう進めていくべきかという方向性も示していただければと思っています。

市長と大盛トークの様子

(参加者)近水観光振興会は、平成2年に歴史を発信しようということで立ち上げた団体で、岡山市の観光の受け皿ということで始めてから33年ぐらい続いています。
我々は木下利玄先生や緒方洪庵先生のような世界的に有名な方がいらっしゃるのを、ぜひそれを子どもたちに還元していこうと、毎年、作文コンクールを実施しています。子どもが作文で、そういう先生方の生きざまを自分の未来の映像としてとらえて頑張ろうと言ったり、そして足守に生まれてよかったというような内容を書いてくれているのが、とてもうれしいです。
これからも頑張って、歴史と文化の町を何とか若い人が移住してこられるようなすばらしい町にできたらいいなと思っています。

市長と大盛トークの様子

(参加者)私は生まれ育ったのが足守で、小学校の校歌の中に、「碩儒洪庵 木下藩公」っていう歌詞があり、その時にはピンとこなかったのですが、成長していく間に本当に偉大な方が地元に生まれて、育っていらっしゃったんだなとあらためて思っています。
私は現役時代、地元に目を向けるということがなかなかできなかったんですが、少しでも地域貢献ができればと思い地元の地域活動に参加させていただきました。
新たな発見っていうのがやはりあります。先ほども言われましたが、自然がすごく四季折々に、新緑とか、それから足守川とか、蛍とか、それから近水園なんかには牡丹も植えられたりとかで、木下の歌の中にある、「牡丹重たく萼をはなるる」っていうのとマッチして、育ててくださっていたり。それから、もみじの紅葉があるとか。雪の時の雪景色もとてもすばらしいなっていう感じで、あらためてそういうよさを発見できたっていうところが、ありがたいと思っています。

市長と大盛トークの様子

(参加者)私は備中足守まちなみ館で観光案内をしていますが、県外から来られる61歳以上の方が結構おられます。
大阪から来られた方が、こんなに素晴らしい町並みもあるし、歴史的なものがあるのに、あまり知られていないのはもったいないですねって言って帰られたりして、そういう面では、セカンドライフを楽しまれるっていうような方にとっては非常に落ち着いた感じで、ゆっくり見て歩いて、楽しんで帰っていただける場所になっているのかなと思います。
もう一つの層は、小学校低学年から幼稚園のお子さんを連れて遊びに来られる方で、この層の方は、近水園とか子どもたちが安全に遊べる場所があるっていうのが非常にいいと言われます。自然豊かで、歴史の勉強もできて、子どもが安全に楽しく遊んで帰れる。
こういった方々をターゲットにして足守の活性化ができるのではないかと考えています。

市長と大盛トークの様子

(参加者)私は緒方洪庵作文コンクール、それから木下利玄作文コンクールのお手伝い、それの委員長をさせていただいています。
緒方洪庵の方は、足守小学校、蛍明小学校の小学校6年生の夏休みの宿題で、地域の偉人の勉強をして自分で作文を書き宿題で出してもらい、木下利玄については、中学2年生に同じような形で夏休みに地域学習でやっていただいて出してもらい振興会のほうで審査しています。子どもたちが作文を書くことによって、自分たちの生まれたところにこんな人がいたんだということを調べるので、非常にいいんじゃないかなと思っています。
また、一つ考えているのは、地元の歴史家とかに参加してもらうような形で年に何回か適塾が開けたら非常にすばらしいんじゃないかなと思っています。
その中で、実は緒方洪庵は足守藩士の佐伯惟因の息子だよという形に流れをつくればいいんじゃないかと思っています。

市長と大盛トークの様子

(市長)ストーリーっていうためには、差別化がやっぱり一番重要で、緒方洪庵はもうほとんどの人が知っている名前だと思うので、先ほどの適塾をやるっていうのは、非常にわかりやすいですね。
あと、足守っていうと木下家ですが、なんで1600年あたりから260年間生き延びたのか。他のところって、どんどん変わっているんですよね。
それはいったい何なのか。そしてその背景には、豊臣とか、おね(ねね)さんがある。でも、一般の人には足守と木下家が結びついてこない。案外発信されてない。足守独特の空気感というか、それも一つの文化であって決して悪いことではないですが、足守独自の文化、これがどうしてできあがっていったのかを文化財の職員2人からも話をしてもらいたいと思うのですが。

(職員)実は足守は、日本書紀に登場しています。日本書紀とは、今から約1200年前に編纂された日本最古の公式記録なのですが、日本書紀で取り上げられる地域は、あまりありません。この近くに葦守(あしもり)八幡宮という神社がありますが、応神天皇がこの地に行幸したとされる旧跡なんです。応神天皇とは、4世紀末から5世紀初頭の天皇と考えられていますが、天皇が、足守に来たという公式記録があるわけです。その後の時代では、平安時代に足守の荘という荘園がありました。絵図も残っています。そして、戦国時代には冠山城の戦いという大きな戦があり、江戸時代には足守藩ができている。各時代に、常に足守という地域が維持されている。その答えは、足守の古墳にあるのではないかと思っています。足守には大型古墳はありませんが、小型古墳が数多く築かれている。小さくても自主性を持った人たちが小型古墳を築き、足守地域を作っていた。自主性を持った幾つものまとまりが、さらにまとまって足守になっていた。小さなまとまりが自主性を主張できるということが、緒方洪庵という天才を見出し、育て、そして世に出した、そういったことではないかなと思っています。

(職員)僕はずっと展示をしてきましたので、そんなことからお話しさせていただきますと、平成26年に、木下家展をシティミュージアムでやらせていただきました。実は来年が、ねね様の没後400年ということになります。

豊臣家が滅んでしまった後は、豊臣家のものは、ねね様がおられた高台寺と、それからねね様のお兄さんの家であるこの足守しか残ってなかったんですね。木下家の文化財が残っているのは本当にこちらですね。それはやはり、ねね様を頂点とする木下家の一つのまとまりの中で、しっかりまとめていっていたのがずっと伝わってきたんだと思うんですね。ですから、豊臣秀吉の辞世の句もここにありましたし、それから秀吉が関白に任命された任命状もここにありました。

ずっとここで守ってきたっていう、やっぱりじっと目立たないように守ってこられたそういう歴史があったからこそ、今に繋がっていると思います。

(参加者)ここに9300点ほどあって、今は岡山県立記録資料館に寄託しているんです。

(職員)文書系が記録資料館さんにあって、美術工芸品が足守文庫にあった。それを今シティミュージアムでお預かりしているということですね。シティミュージアムの常設展の中ではございますけれども、ぜひまた木下家展をやらせていただきたい。シティミュージアムは岡山駅直結の場所でありますので、そこで見ていただいて現地と繋がると。そういう現地との繋がりを来年まで含めてこれからちょっと継続的にできるように頑張ってみたいと思っています。

市長と大盛トークの様子

(市長)木下家から見てみると、豊臣系は加藤清正にしろ、福島正則にしろ潰されていく。うちもやられるかもしれない、これはやばいよと言ってぐっと我慢したのが木下家だったんじゃないか。そういうストーリーが描けるのかな。
260年我慢して我慢して、その中の一つが文化として花開き、そういうものが緒方洪庵になったり、利玄のこういう短歌の世界に入ったりしていく。
何か体にしみついたものがあるような気もして、だからこそ足守からあんまり発信しようとしないんじゃないでしょうか。

(参加者)私はもともと足守じゃないんですが、やっぱりちょっと感じが違いますね。やっぱり、こぢんまりまとまって目立たない。だから逆に、そういった形で改易も免れてきたのかなと思います。

(参加者)私も長年いろんな活性化のイベントをやっていますが、こぢんまりとまとまって外へあんまり発信しない。イベントでもいいんですが、こういう生い立ちの町ですよというのを皆さんに発信していかないといけないなと思っています。
私どもが小学校の時には、ある程度、冠山とか葦守八幡宮とかいうのは先生が道徳の授業の時にお話をしていただいた記憶があります。
それから、「あそこには冠山があって、水攻めの時には大変貢献したんですよ。」というようなことを高齢者からは聞いているんですが、やっぱり足守の木下家というのはどうですかと言われるとなかなか難しい。私もいろんな資料をもらっては見るんですが、やはり、これからはそういう文化の伝承をどうするかというのは地域の課題だと思います。

(市長)造山古墳は今大きく動いているのですが、その要因の一つは人だと思うんですね。人っていうのはすごく大きい。だから、ここにいる5人の方がやっていただくっていうのはすごく大きいと思います。
やはり発信を行政がやるとなると公平性が必ず出てくるわけで、今みたいなストーリーを地元の皆さんがどんどん世の中に出していっていただく。地元の発意ってすごく重要ですので、そこは皆さん方に頑張っていただく。歴史の専門的なことや発信の方法などは市の方でもアドバイスできますので、担当課に相談してもらって、今、ここにいる皆さん方が若い人と一緒になって、今みたいなストーリーで、ものごとを整理していくといいですね。

(参加者)足守の魅力はその歴史の流れの中に、人々がそれを受け入れて生活しているっていうことが大切だと思っています。もし、遺跡があるだけ、そういう建物があるだけで生活する人がいなければ、それは廃墟になってしまう。古くから、田んぼを耕し、その中で人々が生活して生きてきている。文化のある町並みを保持しながらみんなが生活しているからこそ、町並みが保存されているということを考えると、やはりこう生活しやすい足守の町っていうのが、文化を保っていくのに必要じゃないかと考えています。

市長と大盛トークの様子

(市長)おっしゃる通りですね。様々な観点、視点からやっぱり議論しておかないと駄目なのはおっしゃる通りだと思います。
それが最初の認定こども園のような話もそれに関わってくるわけだし、そこは相談しながら、やっていきたいと思います。
今日はどうもありがとうございました。

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