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「韓国インジェ郡ESDスタディツアー2019」報告

[2020年3月5日]

ID:38485

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岡山大学 農学部 2年 脇坂涼奈

はじめに

私は昨年10月、北九州ESD推進協議会が主催する「韓国インジェ郡ESDスタディツアー2019」に参加しました。
「平和と生命」をテーマとしたこのツアーでは、韓国と北朝鮮の間にあるDMZ(非武装地帯)を訪れ、現地の方々と交流したり、朝鮮半島分断の現場を見たりしました。今回、この旅で体験したこと、「平和」について自分なりに考えたことを報告します。

スタディツアーの概要

  • 日時
    2019年10月25日から28日(3泊4日)
  • 場所
    韓国 江原道 麟蹄郡
  • テーマ
    「平和と生命」
  • 目的
    ・日韓間の平和と地球上の生命の重要性を理解する
    ・生活の中での伝統文化の重要性の再認識を通じて持続可能な発展を相互に模索
    ・上記2つを通じて韓国のESDを大切に思う人々との交流

「DMZ=Demilitarized Zone、非武装地帯」とは?

朝鮮戦争の休戦協定が結ばれた際、両国の間には北緯38度線を基準に、南北を隔てる「軍事境界線」が設定されました。そして軍事境界線から南北にそれぞれ2キロメートルずつの範囲で「DMZ」が設けられ、この区域での両軍の駐留は禁止、軍事行動を制限されることになりました。
DMZは休戦後、60年以上も人の出入りが規制されているため、皮肉なことに手つかずの自然が残っており、その生命の豊かさは「生態系の宝庫」「野鳥の楽園」と形容されるほどです。

終わっていない戦争を見る~乙支展望台・第4トンネル~

DMZには、韓国と北朝鮮との軍事境界線を一望できる展望台がいくつかあります。今回はその内の一つ、「乙支展望台」を訪れました。

ウルチ展望台の写真

乙支展望台

展望台の中に入ると、その先には壁一面の大きな窓がありました。写真撮影は禁止されていたのでお見せ出来ませんが、その景色には山々が遠くまで広がり、畑らしきものや、望遠鏡からは北朝鮮の国旗も見えました。人の姿はありませんでした。
両国は休戦状態のため、窓から見えた景色は穏やかに見えても、展望台周辺に張り巡らされた境界を守る鉄条網や、「地雷注意」の標識が、両国の分断を象徴しているように思えました。

第4トンネルの写真

第4トンネル

続いて、第4トンネルです。このトンネルは1990年に発見されたもので、北朝鮮が南側=韓国を侵略するために掘ったと言われています。高さと幅は大体170センチメートルで、これは北朝鮮側の兵士の平均身長に基づいているそうです。
狭いトンネル内を歩いていくと、一人掛けのシートが縦一列にいくつか並んだ、トロッコが設置された場所にたどり着きました。それに乗り、北朝鮮側がダイナマイトを使用してトンネルを掘ったという痕跡が残る、100mほどの区間を観覧することができました。トンネル内の様子は撮影禁止だったのでお見せ出来ませんが、壁にダイナマイトが差し込まれてできた穴が複数残っていました。この暗くて狭いトンネル内を、かつて北朝鮮の兵士は敵にばれないように進んでいったのだろうと想像できました。

第4トンネルを出ると、すぐ右側に資料館がありました。写真はそこに展示されていた地雷です。

対戦車地雷の写真

対戦車地雷

人の手足を吹き飛ばす対人地雷や、対戦車地雷。それらは人を殺すのではなく、「負傷者を出すことでより多くの戦力を奪う」のに効果的な兵器です。DMZには今でも朝鮮戦争時代に埋められた地雷が残っており、どこにどのような地雷がいくつあるのかは把握されていないそうです。地雷は台風や大雨の際に流れ出てくることもあり、爆発事故による民間人の犠牲者も多いと聞きました。地雷原は、激しい戦いの遺物として半島の分断を強固にするだけでなく、その脅威が今もなお、罪なき人々に向けられています。

温かくて優しい韓国の人々

日韓関係について、韓国DMZ平和生命の丘の副理事長さんからもお話がありました。
(注)韓国DMZ平和生命の丘=インジェにある社会教育施設。教育館や資料展示館、食堂や宿舎などが併設されており、今回の宿泊場所でもあった。

話を聞く様子の写真

韓国DMZ平和生命の丘の副理事長さんからお話を聞く様子

日本と韓国は地理的・歴史的に最も近い隣の国で、1500年以上もの交流の歴史があり、政治、経済、社会、文化的に深く結びついています。しかし、最近の日韓関係は「1965年の日韓の国交正常化以降、歴代最悪」だと副理事長さんは仰っていました。その原因は、かなりざっくりと言えば、日韓の歴史認識がお互いに違うことにより、それはどちらが正しいとか間違っているとか、簡単に言えるものではないと思います。しかし、韓国人の立場として、副理事長さんは「相手を恨む人の方が苦しい」と仰っていました。この言葉は私にとって印象的でした。このツアーに参加する前、私は岡山県在住の韓国人の方にお話を伺ったことがあり、その方も「被害者は忘れない」と、似たようなことを仰っていたからです。

今、韓国には日本に対して悪い印象を持っている人ももちろんいますし、日本に対する痛烈な批判もあります。でもその背景には、日本人が感じたことのないような「苦しみ」があるのだということを、副理事長さんのお話から想像することが出来ました。
そのような状況でも、副理事長さんは「歴史は歴史として受け取らなければならない面もある」「それだけに引きずられずに、未来のことを考えないといけない」とも仰っていました。そして私たちツアー参加者に対して、「このような時期だからこそ、今回のツアーは価値がある」「幸せな気持ちで帰って欲しい」とお話してくださいました。その言葉は本当に温かいなと感じました。

このように、現地で私たち日本人を迎え入れてくださった人は、副理事長さんだけではありません。展望台でフレンドリーに接してくれたあどけない憲兵さんや、美味しいお茶やお茶菓子、手土産までご用意して私たちをおもてなししてくださったインジェの高校PTAの方々。第二外国語で日本語を選択し、日本語で「日本のアニメや風景が好き」と伝えてくれた高校生。私たちに韓国の伝統音楽を教えてくださり、頭を空っぽにして一緒に踊り明かした方々。(私は韓国語が話せないので)伝わらないのにもかかわらず、一生懸命話しかけてくださり、慣れない日本語を交えながら、発音しにくい私の名前を覚えて、笑顔で呼びかけてくださった方々。そして、私たちと共通の課題を抱え、ESDに取り組む方々です。

RCEインジェのESD活動事例~共通の課題への取組~

RCEインジェが取り組んでいるESDの活動事例を紹介していただく機会もありました。
環境問題に関する取り組みでは、子供を対象とした植物の栽培体験や環境教育、高校生による清掃活動やクリーンエネルギー啓発活動、使い捨ての紙コップではなく、使い続けられる金属製のコップ普及への取り組みなどが紹介されました。絵本を通じた環境教育の事例では、日本人作家による「そらまめくん」の絵本も使われていることを知り、何だか嬉しい気持ちにもなりました。

ESD活動事例発表の様子

RCEインジェによるESD活動事例発表

その他にも、高齢化が進むインジェでの地域医療事情調査や、外国人移住者の言語教育・サポート活動などについても紹介されました。事例を聞くまではあまり考えたことがありませんでしたが、日本も高齢化による問題は多く、また岡山にも外国人居住者の方は増えてきており、似たような課題があることに気付かされました。

おわりに

今回の旅は、日本にはないDMZを訪れることで、朝鮮半島における民族の分断を知り、歴史が今につながっていることを実感する機会となりました。そして、戦争はSDGsの対極に在り、持続可能な社会を目指すうえで繰り返してはならないものだと再確認しました。
また、この旅は「日韓間の平和」を考える機会ともなりました。私はこれまで韓国への渡航経験はなく、これまでの日韓の歴史や今ある両国間の政治的な問題についても、ほとんど知りませんでした。そのため、ツアーに参加する前(2019年夏頃から)、関係の悪化が世間でよく言われていたころは、突然両国の仲が悪くなったように思えて、どうしてだろうと疑問を抱いていました。

そうした報道の影響は周囲でも見られたように思います。私の知り合いには、韓国に旅行に行くと言えば、「危ない」「怖いからやめなさい」と言われたという人もいましたし、自分も韓国に行くと言うと、何故か親に心配されました(以前台湾に行った時は心配されませんでした)。他方、ネット上では、ニュース記事のコメント欄でもSNSでも、韓国に対する過激な、一方的に嫌うような意見も散見されました。
でも、私が今回の旅で出会った韓国の方々は、本当に優しくて温かい人たちでした。その出会いの中で、韓国の中にも様々な立場の人がいること、日本人に好意的に接してくれる人、共通の課題に取り組んでいる仲間たちもいるのだと知ることが出来ました。また、ツアー中に見た韓国の紅葉や農村風景は本当に素晴らしく、また訪れたい、多くの人にこの景色を知って欲しいと思いました。ツアーを彩った食事や伝統文化体験もそうです。日本人と韓国人でそれらを楽しむ気持ちに違いはなく、課題だけでなくお互いの国の文化や魅力も共有できることを実感しました。

この旅を通じて、いかに自分の中に韓国に対する無知、無理解、偏見や誤解があったかを思い知らされました。日韓の政治的な問題についても、SNSで見たような威圧的・攻撃的な意見などに委縮してしまい、容易に踏み込めない自分がいました。でもそれでは、いつまでも「平和」や「対話」という視点を見失ったままで、国内の「声の大きい人の意見」だけに流されてしまうのではないか、ということに気付くことができました。現地に行かなければ出会えなかった人、見られなかったものを知り、自分の韓国に対する距離感はぐっと縮まりました。日韓関連の報道や意見を見た時も、まず初めにそこで出会った人々の顔が思い浮かびます。この旅を通じて、実際に韓国の人々と話す機会を得られ、誤解や偏見がなくなったこと、相手の立場を想像できるようになったことは、自分の中で大きな成果です。

日韓の政府関係が悪化しても、地域や個人のレベルで見れば、友好的なつながりは存在します。岡山に在住のある韓国人の方も、今の日韓関係を「国民と国民の争いではなく、国のリーダーの争い」だと仰っていました。しかし、政府間の不和によって、国民同士が交流する機会は失われてしまいます。お互いを知る機会が減ってしまえば、ますます誤解や偏見は増えていくのではないでしょうか。
私が大切だと感じたのは、一人ひとりが、複雑で困難な問題を前に「分からない」「解決できない」と悲観し、萎縮してしまうのではなく、まずは相手のことを知ること、そして自分と立場の違う人に向き合い、異なる意見を受け入れ、理解し合おうとすることです。その入り口となるのは、このツアーのようなお互いを知ることのできる機会、温かな交流なのかなと思います。今後、氾濫する情報に流されてしまわないためにも、「自分の目で見て、聞いて、確かめる」経験を大切にし、多くの人にも今回の経験を伝えていきたいと考えています。