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特別展「古代黄金の物語」みどころ

[2026年8月18日]

ID:84800

古代黄金の物語

特別展「古代黄金の物語」

古来人々は、黄金の輝きに魅了されてきました。金は銀や銅とならんで、歴史上最初に発見された金属のひとつです。
エジプトでは黄金は神の肉とされ、拝火教では金は輝く光の象徴であり魂であるとされました。
黄金は単なる物質ではなく、神々や魂に関わる存在だったのです。
本展では、MIHO MUSEUMをはじめとする国内有数のコレクションから、紀元前の黄金の名品約250件を選りすぐって展観します。

ここでは展示の構成と各章の作品を少しだけ紹介します。

第1章 黄金とエレクトラム

自然界で見つかる金は、いつも純金とは限りません。銀を含むことが多く、銀の割合が増えるにつれて、その色彩は白みを増していきます。
金と銀の天然合金は「エレクトラム」と呼ばれ、古代ギリシアでは、金とは別の金属と認識されていました。金色とも銀色とも異なる淡い輝きが特徴です。
この章では、最初に主に日本で産出された自然金と砂金を、続いて古代オリエント世界で作られた、金や銀、エレクトラム製品をご覧いただきます。

自然金

自然金
兵庫県養父市中瀬金山
日本精鉱株式会社

自然金

自然金
カリフォルニア州プレイサー群イーグルズネスト鉱山
国立科学博物館

第2章 黄金に刻まれた権力と世界観

西アジアが鉄器時代へと移行する紀元前1300年以降、イラン北部では、豪華な黄金製品を伴う遺跡が相次いで見られます。
カスピ海南西岸の山間部に位置するマールリーク遺跡で発掘された黄金製品には、獅子や牡牛、ガゼル、猛禽、有翼の空想動物が表現されています。
ウルミア湖近くのハサンルー遺跡では神々や戦車、人物、動物を複雑に組み合わせた意匠の黄金杯が、カスピ海沿岸に位置するカラール・ダシュト遺跡からは3頭のライオン頭部が三次元的に飛び出す構図の黄金杯が出土しています。

猛禽装飾杯
イラン北西部
前12-11世紀
MIHO MUSEUM

牡牛装飾脚杯
イラン北西部
前12-11世紀
MIHO MUSEUM

第3章 黄金に描かれた栄枯盛衰ーアッシリアの巻

アッシリアは、周辺の強国の支配を受けることもありましたが、前9世紀頃から急速に拡大し、前7世紀にはエジプトを含むオリエント世界の大部分を支配する、帝国となりました。
「戦勝図杯」には、王アッシュル・バニパルの軍隊が、当方のエラム(現在のイラン南西部)に勝利した様子が、口縁にはアッシュル・バニパルの名と「世界の王」をうたう銘文が刻まれています。
しかし、その繁栄は長くは続かず、アッシュル・バニパルの死後およそ20年で、ニネヴェはバビロニアとメディアを中心とする連合軍によって陥落します。
「戦勝図杯」の内側には、後に新エラム語でイラン系の王名が刻まれました。

戦勝図杯
イラン西部/アッシリア
前7世紀
MIHO MUSEUM

第4章 黄金に描かれた栄枯盛衰ーペルシアの巻

前6世紀半ば、キュロス2世に始まるアケメネス朝は、急速に領土を拡大します。
ついには、中央アジアからエジプトに至る広大な領土を支配し、その宮廷には帝国各地の富ばかりでなく、技術やデザインも流れ込みました。アケメネス朝美術には、メソポタミア、エジプト、ギリシアなどの多様な文化の要素が融合しているのです。
豪華な黄金のトルクは、アケメネス帝国末期に作られたと考えられます。

聖樹装飾舟形容器
前7-6世紀
MIHO MUSEUM

雄鶏型容器
前7-6世紀
MIHO MUSEUM

第5章 黄金の超絶技巧

微細な金粒を金板の表面に接合する「粒金細工」は、古代の様々な地域に現れ、その後、技術が途絶えた例が繰り返されています。
古代の粒金細工では、現代のように接着剤を使ったわけではありません。金や銅の性質を巧みに利用し、ごく小さな接点で金属同士を結びつけていました。

パルメット装飾襟飾り
イタリア、エトルリア
前6-5世紀
岡山市立オリエント美術館

第6章 黄金装飾の精華ーエトルリアとヘレニズム

今から約2800年前頃から、イタリア半島の中北部エトルリアにいくつかの都市国家が生まれ、独自の文化を持っていました。
エトルリア人は工芸に優れ、その墓からは美しい黄金の装飾品が見つかっています。中でも粒金細工は見事なもので、史上最も微細な粒金を使いこなしたのはエトルリア人でしょう。
一方、ヘレニズム世界の黄金作品は金を大量に使うのではなく、金線を多用し、小さくリアルな植物や動物をアラベスク風の連続文様にあしらうなど、優雅なものとなりました。

首飾り
イタリア、エトルリア
前6-4世紀
MIHO MUSEUM

バウレ形イヤリング
イタリア、エトルリア
前6世紀後半
岡山市立オリエント美術館

第7章 文化のるつぼ、バクトリア:ペルシア、ギリシア、中央アジアの融合

中央アジアのバクトリアは、現在のアフガニスタン北部からタジキスタン南部に広がる地域です。
この地方を流れるオクサス川、現在のアム・ダリヤ流域では砂金が採れ、さらに南東のバダフシャンは、ラピスラズリなどの鉱物資源にも恵まれていました。
古代の人々にとって、この東方世界は豊かな鉱物資源の産地として知られていたのです。

イヤリング
前5-4世紀
MIHO MUSEUM

第8章 バクトリア遺宝ー神殿への捧げ物

バクトリアは、古代イランの宗教世界においても重要な土地でした。
大英博物館が所蔵する「オクサス遺宝」は、この地域を代表する黄金製品群です。アケメネス朝時代を中心とする金銀製品や、多数の奉納板などからなり、宗教的な奉納に用いられた品々を数多く含んでいます。

神官文奉納板
前5世紀頃
MIHO MUSEUM

精霊文奉納板
前6世紀頃
MIHO MUSEUM

第9章 古代アメリカの黄金

古代アメリカの文化の多くで、宗教儀式の中心にシャーマンの存在がありました。多くの場合はシャーマンは、その集落の首長でもありました。
シャーマンが神がかりになる際には、様々な扮装やトランス状態をもたらす飲食物が用いられました。扮装のなかでも特に目を引いたのが、黄金の飾りであったことでしょう。
金は太陽の光と神力を宿すもの、黄金の飾りを身に着けることで一族に繁栄をもたらす強力な存在になれる、と信じられていたのでしょう。

シャーマン形ペンダント
コロンビア・カウカ渓谷中流域、マラガナ、”エル・ボロ”
前500-後500年
MIHO MUSEUM

首飾り
ペルー
前500-後100年頃
MIHO MUSEUM

第10章 中国古代の黄金

『史記』には、黄金の器で飲食すれば寿命を延ばすことができると武帝に説いた方士の話が記されています。
漢の時代、黄金は富や権力を示すだけでなく、吉祥や長寿、死後の世界への願いとも深く結びついていったのです。

金虎(一対)
中国
前9-8世紀
MIHO MUSEUM

玉琉璃象嵌帯鉤
中国
前4-3世紀
MIHO MUSEUM

エピローグ 日本美術の黄金

日本最古の金の証拠は志賀島の金印ですが、古墳時代の金製品は銅に金メッキを施したものが大半でした。
6世紀半ばに仏教が伝来すると、仏像や仏具に黄金の輝きが求められるようになります。当初、金は輸入に依存していましたが、749年に陸奥国から国内初の確実な金の産出・献上が記録され、東大寺の大仏建立などに多量の金が用いられました。
以降、東北地方は豊かな金産地として知られ、中尊寺金色堂などの文化を形作りました。
このように日本の黄金文化の普及は、仏教と深く結びついていたのです。

金銅六器
日本
12世紀
MIHO MUSEUM

金銅灑水器
日本
12-13世紀
MIHO MUSEUM

お問い合わせ

教育委員会事務局生涯学習部オリエント美術館

所在地: 〒700-0814 岡山市北区天神町9-31 [所在地の地図]

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