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岡山県南部には、無数の用水路が走っている。干拓開墾地はそもそも海底だったので、川はない。したがって、水を開墾地へ引き入れなければならない。簡単に考えれば、農地に水を入れるには近くの河川から分流させればよい。しかし上流部の農地でも同じように水が必要なわけだから、せきとめられて取水されてしまうと、下流の水量が少なくなり、交渉や争いが起こる。また下流で開墾が進むと、上流の古くからの農地の排水に支障が生じる。長年にわたる人々のせめぎ合いと工夫と思案の末、堰や水門、樋門の位置、新開の流路が設定され、その積み重ねが現在の景観となっている。
岡山の「倉安川・百間川かんがい排水施設群」は、倉田新田・沖新田という2,200 ヘクタールもの大規模干拓を実現させたこと、現存する最古の閘門式水門である吉井水門が評価され、令和元年(2019)、「世界かんがい施設遺産」に指定された。さらに令和5 年(2023)、旭川中流の建部井堰も新たに同遺産に指定された。
27
岩生郡図
寛文元年(1661)5月14日
縦226cm, 横117.7cm
岡山大学図書館 T2-75
和気町田原上に吉井川を横切る約500mの田原井堰があった。ここで取水した田原用水が釣井まで描かれている。田原用水の開削はかつて寛文期の津田永忠の仕事とされていたが、現在は寛永5年(1628)とされている(定兼1999)。のちに沖新田の開発にあたり、瀬戸町の砂川まで延伸された。その際、小野田川を越える掛樋の技術が導入された。
28
上道郡図
万治4年(1661)
縦194.2cm, 横140cm
岡山大学図書館 T2-79
寛文9年(1669)から百間川の築堤が具体化していくが、その直前の旭川東岸の図である。龍ノ口山と操山の間の平野には、小水路(グレーの線)が乱流している。黄色で示された部分は「ふけ」と記され湿地帯を示している。龍ノ口や東端裾には祇園大樋が描かれている。この絵図の数年後、旭川東岸に荒手を設け、操山北麓を通す百間川が築堤される。
29
御野郡図
1650−70年代
縦197.4cm, 横142cm
岡山大学図書館 T2-89
旭川西部の絵図。南区北辺あたりが海岸線となっている。現在の三野浄水場あたりで取水された西川用水が幹線となり、そこから西へ南へ、旭川西部の平野に水を供給している。余談だが、笹ヶ瀬川から矢坂山へ張り出した流路がみえる。空襲展示室で展示されている1945年の空撮写真にもこの流路が写っている。しかし現在はこの流路は存在しない。
30
〔旭川東部絵図〕
年代未詳
縦78.4cm, 横86.2cm
岡山大学図書館 T2-97
城主が城から城下を眺望するための図と思われる。百間川が、黄色で示されている。一の荒手、二の荒手、そしてかつて原尾島のあたりにあった三の荒手が描かれている。
31
〔奥上道郡口上道郡船通溝ノ絵図〕
年代未詳
縦79.7cm, 横108.5cm
岡山大学図書館 T7-49-1
倉安川の開削計画の全体を示した絵図。倉安川の新規開削部分は、黄色で描かれている。倉田三新田の開発以前のもので、その開発予定地が簡略に記されている。
32
奥上道郡船通川筋ノ絵図(縮小複製展示)
延宝7年(1679)2月3日
実寸 縦221.8cm, 横134.2cm
岡山大学図書館 T8-56
倉安川の開削に関する絵図。31の下図か。本図には吉井村吉井川端から広谷村までの奥上道郡分が、33には広谷村から平井村旭川端までの口上道郡部分が描かれている。船通し川に用いる「古溝」を墨書で、古溝を結びつけるために新たに掘られる「新川」の部分を朱書で示している。
33
旭川筋ノ図
年代未詳
縦57.4cm, 横162.3cm
岡山大学図書館 T8-107
倉安川の開削計画の全体を示した絵図31の下図か。倉安川の、広谷村から西部分の流路が描かれている。
34
〔水門組立之図〕
年代未詳
縦39.7cm, 横46.5cm
岡山大学図書館 T7-57-4
水路が交差する地点などで構築された底樋の構造を示した図。
35
〔水門組立之図〕
年代未詳
縦41.2cm, 横69.3cm
岡山大学図書館 T7-57-5
水路が交差する地点などで構築された底樋の構造を示した図。
36
上道郡倉安川絵図(実寸大複製展示)
安政3年(1856)4月
縦60.4cm, 横611.8cm
岡山大学図書館 T7-40
倉安川の全長を細長く描き、巻子に仕立てたもの。各所に、樋門、底樋、橋などの細かな情報が書き込まれている。倉田新田の開発にあたり、吉井川から砂川、百間川を越え、旭川まで、約20kmをわずか半年で開削した(1679年)。新田の用水と物流の水路としても機能した。
江戸時代の開墾地は、入り会いの野原や河口の中洲、沿岸の干潟が多かった。こうした場は以前から漁や葭( ヨシ) 原を利用している者がいた。そうした土地を開発する際には隣接する村や領主で争いになることがあった。多くの場合は地元の人間で解決するが、こじれることもあり、幕府の裁定にまで発展することもあった。
児島湾西部の興除新田の開発においては、備前と備中の国境の争論が約100 年にわたって続いた。宝暦8 年(1758)の幕府の裁許により国境が確定し、ようやく興除新田が開発されることとなった。
江戸時代が終わると、武士は仕事を失ってしまう。明治時代の干拓は、こうした旧藩の武士に仕事を与えることが目的となった。興除新田の東に、士族授産事業として最初に干拓が計画された。明治8年(1875) から築堤が行われ、一番開墾と呼ばれた。そのまた外側が二番開墾(三菱による三菱開墾、杉山岩三郎による杉山開墾がある)、さらにその外側の広大な海の干拓計画、これが藤田干拓である。
明治14 年(1881)、オランダ人土木技師ムルデルが児島湾干拓開発の視察に招聘された。ムルデルは緻密な調査をして、児島湾の干拓が可能なこと、そして岡山にとって有益であることを主張する「ムルデル工師の児島湾開墾復命書」をまとめ、内務省に提出した。高崎県令はこの干拓に国家予算を期待したが許可されず、民間事業者を募った。これを引き受けたのが藤田傳三郎であった。深い泥地の難工事であったが、藤田組は1899 年から65 年をかけ、児島湾7,000 ヘクタールのうち、約5,500 ヘクタールを開墾した。
37
都宇郡之図
〔寛永-寛文(1624-1673年)〕
縦65.1cm, 横53.5cm
岡山大学図書館 T2-92
備中国絵図制作のために庭瀬藩主戸川正安が光政に提出した都宇郡の絵図。妹尾−早島、現在の瀬戸大橋線のあたりが海岸線となっている。緑青をたっぷり使った山の緑色が美しい。
38
〔児島内海干潟分間見取絵図〕
年代未詳
縦40.5cm, 横56.5cm
岡山大学図書館 T8-13
備中方の妹尾と児島方とが立ち会って作成した内海干潟の絵図。多数の「屋井」(ヤイ網:ヨシの束を沈め魚を集める漁)や「かし」(樫木網:定置網による大掛かりな漁)が描かれている。現在の倉敷川や妹尾川になる水尾筋2ヶ所には「分間」(測量)したことを示す書き込みがある。
39
〔興除新田開発目論見略図〕
年代未詳
縦122.6cm, 横136.8cm
岡山大学図書館 T7-107
児島内海干潟のうち、「葭(ヨシ)草生附洲」(草色)を囲うように朱の点線で堤線が引かれている。現在の丙川の流路と重なる。興除新田の開発計画を示したものか。八ヶ郷用水など水路の概略も描かれており、興除新田の開発にあたっては、用水が大きな問題であったことを示している。図中の付紙も、水路や樋に関するものが多い。
40
〔児島湾及び興除新田之絵図〕
年代未詳
縦80.1cm, 横173.4cm
岡山大学図書館 T8-6

41
備前備中国境并海面御裁許絵図(縮小複製展示)
宝暦8年(1758)6月21日
実寸 縦178.7cm, 横220.4cm
岡山市教育委員会 岡山市文化財課
宝暦国境争論に対して幕府が下した裁許の内容を示した絵図。国境については新田堤際を国境とするもので、絵図中に太い墨線で示されている。干潟での用益権については、備中方の意見がほぼ認められ、より詳しく規定された。この絵図は、妹尾・箕島・早島の3ヶ村が持ち回りで管理し、現在まで伝えられた。岡山市指定重要文化財(1972年3月24日)。
42
〔足守川および笹ヶ瀬川の下流域用水絵図〕
〔明治8−10年(1875-77)頃か〕
縦122.7cm, 横140.9cm
岡山市立中央図書館 096.14 (37566)
南の倉敷川と北の笹ヶ瀬側に囲まれた部分。丙川の絵図上の南東は葭(ヨシ)草、干潟となっている。
43
備前国児島郡興除沖干潟開墾所分間一寸百間凡積図
明治9年(1876)2月
縦79.1cm, 横163.9cm
岡山市立中央図書館 興除096.1/64
丙川の南は、葭(ヨシ)原、その先に干潟広がっていた。
44
備前国児島郡興除沖附洲開墾地境堺絵図
明治11年(1878)6月
縦75.9cm, 横390.7cm
岡山市立中央図書館 興除096.1/65
南から、曽根、中畦、内尾、東畦の丙川の南の干潟開墾後の図。
45
備前国児島郡興除新田東疇村外四ケ村用水井路川広引地願上場所見取絵図
〔明治8年(1875)以降、明治22年(1889)以前〕
縦27.8cm, 横39.6cm
岡山市立中央図書館 興除093.2/179
備前備中国境標石から足守川との合流点、泉水樋門までの、妹尾川の流路沿いの地番と家長(?)の名が細かく記されている。
46
備前国児島郡中疇村地先開墾地之図
明治15年(1882)4月
縦74.5cm, 横77.5cm
岡山市立中央図書館 興除096.1/20
現在の曽根公園(南)から興除公民館(北)の丙川の東の開墾地。
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