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♯16 様々な人々と音楽が出会う場所をつくり続けて

[2018年12月12日]

ID:43267

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「おかやまJAZZフェスティバル」とは?

2001年12月、これまで岡山にはなかった新しいジャズのイベントを作ろうという趣旨に賛同した数名の市民ボランティアが集まり、岡山ジャズフェスティバル実行委員会が設立されました。翌年初頭より企画を練り、2002年8月、『おかやま音楽祭』(おかやま国際音楽祭の前身)の一部門として『第1回おかやまJAZZフェスティバル Music Crossroad』を開催しました。有料の大規模なホールコンサートと市内の無料街頭イベントを複合したフェスティバル形式のジャズイベントを岡山で開催するのは初めてのことでした。その後、様々な形態をとりつつ、今年(2018年)で第17回目を迎えています。

演奏風景

写真1(2002年第1回目:「ちゅうぎんまえジャズナイト」の演奏風景)

"Music Crossroad"に込めた意味

「ジャズフェスティバル」と銘打っていますが、我々はジャズというジャンルに殊更こだわってはいません。そもそも、ジャズはアフリカ音楽と西洋音楽が出会った時に生まれました。常にその時代の文化とともに進化し、現代の様々なポピュラーミュージックの母胎となっているジャズは、まさに様々な音楽が交わることで形成されてきたのです。今も変容し続けるジャズを、この場で体験してもらいたい…。そのために、我々は古典的なジャズの枠にとらわれることなく、「様々な人々と音楽が出会う」場所を作りたいと考えました。イベントサブタイトル"Music Crossroad(ミュージック・クロスロード:音楽の交差点)"には、このような想いが込められています。

岡山市民会館での最後の大規模コンサートの宣伝写真

写真2:岡山市民会館での最後の大規模コンサート、2010年第9回目:森山良子&寺井尚子

転機となった2011年第10回目のフライヤー

写真3(転機となった2011年第10回目のフライヤー、初回「ジャズ・アンダー・ザ・スカイ」開催)

「おかやまJAZZフェスティバル」の転機

我々に転機が訪れたのは2011年(第10回目イベント開催時)です。前年までは、有料大規模ホールコンサートに加えて市内各所で複数の無料ライブを開催していました。フェスティバルという名に相応しい規模に拡大していったものの、イベントを遂行し成功させること自体が、いつの間にか目的化していたのです。そもそも、「おかやまJAZZフェスティバル」は「様々な人々と音楽が出会う」場所を市民ボランティアが自らの手で作り上げたものでした。市民の皆様がワクワクしながら聴いてもらえるような音楽を届けたい、そして眼の前で繰り広げられるライブ感たっぷりの演奏をしっかり楽しんでもらいたい、そのためにはイベントを多少絞り込んでもいいのではないかと考えました。市民目線を保ちながら今後も良質なイベントを企画し続けていくために。

岡山ジャズフェスティバル実行委員&ボランティアスタッフ

写真4(岡山ジャズフェスティバル実行委員&ボランティアスタッフ、2018年第17回目:ちゅうぎんまえジャズナイト終了後)

その後は、岡山市文化振興課、岡山市スポーツ・文化振興財団の皆様や、おかやま国際音楽祭のサポートもあり、下石井公園に設置された巨大野外ステージ(下石井3DAYS、ジャズ・アンダー・ザ・スカイ)の企画・運営と、中国銀行本店前広場の無料ステージ(ちゅうぎんまえジャズナイト)開催を2つの柱として現在も活動しています。そして、「様々な人々と音楽が出会う」場所をつくりたいという想いは、もう我々だけのものではなく、様々な人々・他団体にも共有されてきました。それが、市民ボランティアの手で作り続けてきた「おかやまJAZZフェスティバル」17年間の成果なのではないかと考えています。

太田徹哉

太田徹哉さん

岡山ジャズフェスティバル実行委員会創設メンバー。
外科医であり、ピアニストとしても活動中。

2001~2006年まで副委員長として、「ちゅうぎんまえジャズナイト」をはじめとする街角イベントをプロデュース。

2007年より2018年現在まで実行委員長として、実行委員・市民ボランティアスタッフとともに、イベント全体の企画・運営を行っている。