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#8 吉備大賀ハス保存会について

[2017年7月31日]

ID:43221

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活動の目的

吉備大賀ハス保存会の活動目的は、庭瀬城址内堀の大賀蓮の育成保存と大賀蓮の育成エリアの拡大です。
日本各地、海外各国に広がっている大賀蓮を、大賀博士生誕の地である吉備地区に残していくことが大事だと考えています。
もう一つは大賀一郎博士を顕彰していくことです。

大賀蓮の誕生

大賀博士は古代ハスの研究で世界的に知られる旧吉備地区出身の植物学者です。
博士は1950年(昭和25年)に千葉県滑川から出土した古ハスの実をもらいうけ発芽実験に成功するも、発芽後1か月ほどで枯れてしまいました。博士は大きなショックを受け、再び古ハスの実を得たいと考えていたところ、千葉市の東大検見川厚生農場の泥炭地から草炭採掘時に丸木舟と共にハスの果托が出たことを知り、早速その場所を訪ね発掘の協力を得ることができました。

1951年(昭和26年)の3月3日から発掘が始まりましたが、軟弱な地盤のため木の枠を入れ、水をくみ出しながらの難工事でした。
工事は、地元の小中学生を始め多くの方々の協力で掘り進められ、小中学生には地下から掘り出された泥をふるいにかける作業をしてもらっていました。

資金難から明日で発掘を中止することが決まった直後の3月30日夕方、地下約5mの深さから1粒の実が中学生のふるいにかかりました。
4月6日にはさらに2粒の実を発見、合計3粒の実が発掘されました。
5月6日には府中市の大賀博士宅にて発芽処理が行われ3粒の実の発芽に成功しました。
その中の2つの実は枯れましたが、残る1つの実は順調に育っていきました。
そして、翌1952年(昭和27年)7月18日、古ハスの実から生長したハスが初めて開花したのです。
1954年(昭和29年)には、千葉県の天然記念物に指定され大賀蓮の名称がつけられました。
岡山に大賀蓮が分根されたのは、1956年(昭和31年)4月17日、後楽園の花葉の池で大賀博士を迎えて植えられたのが最初です。

大賀蓮の写真

設立のきっかけ

大賀蓮の説明看板の写真

平成9年「吉備地区活性化委員会」と「庭瀬城祉保存会」の共催事業としてコンクリート製の鉢7基に大賀蓮が植えられました。
当初は淡い紅色の美しい大輪の花を咲かせていましたが、年月が経つにつれ大賀蓮とは違う白色や八重の蓮が咲くようになっていました。

庭瀬城址内堀の畔に大賀蓮の説明看板が立てられているのですが、載っている写真とは全く異にした蓮が咲いていることに疑問を感じ、何とか系統を維持した大賀蓮にしたいとの思いに駆られました。

平成19年「庭瀬城址保存会」は解散していたため、その思いを知人に話したところ、知人から知人へと話が伝わり、賛同してくれた方が集まりました。
吉備公民館が事務局を引き受けて下さることになり、会議を重ね平成24年4月に保存会を発足しました。
吉備公民館には保存会立ち上げから現在にいたるまで色々協力して頂いています。

元の姿に戻すまで

  • 平成24年
    庭瀬城址内堀の大賀蓮とは違う蓮を根絶する為のポリ容器栽培を始めました。
  • 平成25年
    和歌山大賀ハス保存会より系統を維持した大賀蓮を分根して頂き、1基のポリ容器に植付けました。
  • 平成26年~27年
    7基全てのポリ容器に系統を維持した大賀蓮を植え付け、栽培しました。
  • 平成28年
    コンクリート製の鉢に残っていた違う蓮が淘汰されたことを確認したので、ポリ容器栽培からコンクリート鉢栽培に移し元の姿に戻すことができました。
コンクリート鉢栽培に移す様子

今年は元の姿に戻って2年目、美しい大賀蓮が庭瀬城址を彩っています。

大賀蓮の写真1
大賀蓮の写真2

今後のこと

育成エリアは少しずつ広がっており、吉備地区を蓮の町にしたいとの夢を持ち活動を続けています。
大賀博士のハスと共に歩んだ清貧な生活と、真理の道を求めた生涯を若い世代にも伝えていきたいと思います。
郷土が誇る大賀博士の業績を知ってもらうため、いろいろな機会を活用して伝えられたらと思っています。

浅野 秋夫

吉備大賀ハス保存会副会長