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#7 多様なまちを映画を通じて

[2017年5月16日]

ID:43192

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人に優しい芸術・映画の魅力

「高倉健さんは、日本の芸術家だ。彼は両国の文化交流を促進するうえで重要な貢献をした。」

俳優 高倉健さんが亡くなった時、中国外務省が追悼の意を表したことはとても印象深い出来事でした。
「君よ憤怒の河を渉れ」「遥かなる山の呼び声」は多くの中国人の方に感銘を与えました。
その意味で映画は、世界の各地域で吹き替え版さえ作れば、誰でも様々に楽しむことができる、人に一番やさしい芸術ではないかと思っています。

岡山映画祭2016上映作品「クワイ河に虹をかけた男」

実は私自身にも思い出があります。

平成29年5月、岡山のミニシアターで「クーリンチェ少年殺人事件」という映画が上映されました。1960年、台湾の台北で実際に起きた少年による少女の殺害事件をテーマにした作品です。この映画を見るまでは、中国本土の発展や映画に比べて台湾の存在をほとんど意識することがありませんでした。
しかし、この映画を見て「ああ、台湾はこのような素晴らしい映画を創ることができる国なんだ」と感じ、私のどこかにあった傲慢な意識をとても恥ずかしく思いました。

どんなに国家や人々の間に文化や考え方の違いがあったとしても、映画が一瞬にして心を通じ合わせてくれる可能性を実感した出来事でした。

映画祭のないまち・岡山に映画祭を!

そんな映画ですが、歴史は古いものではありません。
1895年、パリのグランカフェで世界初の投影式映画「列車の到着」が上映されました。その時向かってくる列車に観客は思わず逃げたと言われています。

そして、1995年、映画生誕100年を記念して、岡山で初めての映画祭を立ち上げようと決断しました。
その時に、商業映画はなるべく映画館で見て、映画館で上映されにくい映画を中心に岡山映画祭をしようと思いました。それは、結果としてどちらの映画も選択できる多様なまち岡山を目指そうとの願いでした。

その後、本当に多くの市民の方、岡山市や財団の方たちのご支援をいただき、昨年までに10回の映画祭を無事行うことができました。

監督だけでも、カメラマンだけでも役者だけでも映画は完成しません。
それを映す映画館や映画祭での上映と、そこにたった一人でも映画を見る観客がいて初めて映画ができたことになります。
その意味で、「映画を最後に完成させるのは私たち観客なんだ」その思いが映画祭を行う私たちの気持ちを支えています。

映画祭の様子1

世代を超えてみんなの力で岡山から映画の発信を!

今、岡山を舞台とした、映画「ひるね姫」や「桃とキジ」が公開され話題を呼んでいます。

一方、児島の美容師さんが初めてメガホンをとる「かみいさん!」、早世の俳人、住宅顕信を描く本田孝義監督の「ずぶぬれて犬ころ」、詩人永瀬清子さんの生家の蔵の解体を作品化する中村智道さんなど、岡山での自主映画の撮影や企画が始まりました。

また、岡山県高等学校放送文化連盟のご協力を得て、映画「64ロクヨン」の瀬々監督、「クワイ河に虹をかけた男」の満田監督、「ふうがわりい」の福田監督と中高生の交流の場を初めて持つことができました。この皆さんの中から将来の映画監督が誕生することも夢ではありません。

今後も、世代を超えて、岡山からの映画の発信を目指す方たちを、映画祭として少しでも応援できればと思っています。

映画祭の様子2

小川 孝雄

小川さん

1953年7月19日岡山市生まれ。
岡山大法文学部経済学科卒。岡山大映画研究部で映画を撮影。1976年、銀行に就職後、映画上映団体「残像舎」を設立。
まだ学生だった「大森一樹監督」を最初のゲストに迎え日本映画の新しい映画のつくり方としての自主製作映画の上映活動を開始。
1995年から、岡山で見る機会の少ない映画を中心に上映する「岡山映画祭」を立ち上げ、10回目を迎えた。
2008年には映画「岡山の娘」をプロデュース、2014年には「シネマトリップ・映画『月輪古墳』から始まる旅」を監督。
岡山県NPOセンター専務理事、岡山県ボランティア・NPO活動支援センター所長を歴任。コミュニティコーディネーターとして市町村のまちづくりにも関わっている。2015年度岡山市文化奨励賞を受賞。