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「文学の中の岡山」vol.5『十七歳だった!』

[2025年8月16日]

ID:74614

「文学の中の岡山」では、公益社団法人全国学校図書館協議会:Japan School Library Association(略称:全国SLA)学校図書館スーパーバイザーであり、岡山市文学賞運営委員会 文学によるまちづくり部会委員の高見 京子さんに、岡山ゆかりの作家、作品などについてご紹介いただきます。

『十七歳だった!』原田宗典(マガジンハウス、集英社文庫)

しばらく影を潜めていた原田宗典が、昨年『おきざりにした悲しみは』を発行して(2024/11)復活したことをうれしく思う。『おきざりにした悲しみは』の主人公は65歳で東京在住だが故郷は岡山。帰省の時の親子の会話は岡山弁で、原田の実体験とも重なるだろう。

原田が岡山で過ごしたのは高校の3年間だけだが、青春真っ只中の3年間が『十七歳だった!』という作品になった。34歳の原田が高校時代を振り返って書いたものだ。青春が岡山を舞台に駆け抜けていく。「17歳」とは青春の象徴である。

入学したのが岡山操山高校。教師から「あんごおじゃのうおめえは」と、女の子には「やーん。原田君いけーん。」と言われ、「十五歳のぼくは岡山弁の洗礼を受け」るところから始まる。

授業中、体育祭などの学校生活のことや、ファッションやバイクや恋など、昭和50年前後の高校生の姿は、往年の読者はノスタルジーがわくともいえるが、いつの時代も高校生は変わらない。

彼女とのデートは、旭川の河原。「後楽園正面前の竹久夢二の碑の下あたりで待っています。」その初恋は、K岡さんという子からの「友達でいてください、て。それだけ伝えてくれェ言われたんよ」の言葉で終わるのだが。「人生って思い通りにいかないものなのだなぁと、生まれて初めて実感した」原田君だった。

親に反抗して家出を企てたこともある。朝早く、とりあえず岡山駅に行って小豆島行こうとしたら、それは岡山港からと言われ、フェリーで小豆島へ。灯台のもとで美女を待ったが当然現れず、ばからしくなって、フェリーで岡山港へ。「学校でも行ってみっか」と操山高校の正門前へ。「何じゃい原田、今日はサボりか」「ちゃうちゃう、家出じゃ」「けど、お前ここにおるやんけ」

原田が通い愛した、奉還町のアイビーショップ「バニー」、喫茶店「イリミテ」「白樺」、サボって勉強しに行った「文化センター」(現、天神山プラザ)など、懐かしく思い出す人も多いだろう。

時代は変われど、確かに、ここには岡山の高校生がいた。

「文学の中の岡山」執筆にあたり/全国SLA学校図書館スーパーバイザー 高見 京子

2023年10月に、岡山市は「ユネスコ創造都市ネットワーク文学分野」に加盟した。

岡山(市だけでなく県全体で)は、「文学創造都市おかやま」の名に恥じない、数々の実績があるが、私は特に岡山出身(ゆかり)の作家たちが多いことを挙げておきたい。その作家たちを中心に、それぞれの作品の中に岡山の描写が多いこともうれしいことである。

これから、このコーナーでは、読み応えのあるそれらの作品と、岡山がどのように文中で書かれているかを紹介していきたい。作品が一都市だけに向けて書かれていることはもちろんなく、普遍的なものであるのだが、その作品を味わうと同時に、身近な場所が文中にあることで、より岡山に親しみを感じたり、その場所を歩いてみたりしようと思っていただければ幸いである。

「文学」も広くとらえ、ノンフィクションも、映画など他のメディアなども含み、比較的新しい作品を取りあげていきたいと思っている。愛読してくださるとうれしい。