「文学の中の岡山」では、公益社団法人全国学校図書館協議会:Japan School Library Association(略称:全国SLA)学校図書館スーパーバイザーであり、岡山市文学賞運営委員会 文学によるまちづくり部会委員の高見 京子さんに、岡山ゆかりの作家、作品などについてご紹介いただきます。
このブックレットは、高畑勲氏の、2015年6月29日岡山市民会館で開催された、岡山市の主催による岡山市戦没者津藤式・平和講演会での講演記録に加筆・収録したものである。その年の12月に発刊された。
氏は、1945年当時9歳で、国民学校4年生だった。6月29日の未明、「あの夜、私は二階で寝ておりました。騒がしさにふと目が覚めると、窓の外、西南方向が赤くなっている。~はだしのまま表に飛び出しました。」「私たちの住んでいたところは、現在『あくら通り』と名前が付けられている道の南側に面していて、向かいが出石小学校の塀です。当時の住所は下石井、今では柳町一丁目。その西南方向、大供の向こうあたりが燃えていて、だから、みんな、うちから見ると東側の、まだ燃えていない町の中心部に向かってどんどん逃げているのです。」と、実体験を語っていく。
氏は西川を渡り、商店街を逃げまどい、大雲寺の交差点から旭川までの大通りへ。熱風がくる中。ダァーと走り出したおじさんについてダァーと走り、旭川の河原まで出る。明け方、黒い雨が降り、出会った友人と東山に行き、そこからまた京橋を渡り、西川まで。「その途中はもう、死体だらけなんです。~黒焦げになっているより、まだ人の形のままの死体の方が目につきました。~…蒸し焼きなんです。~そういう死体を見て、もう本当に震えが止まらないんですよ」この情景は、アニメ映画『火垂るの墓』と重なる。
実は長い間、氏は戦争体験を語ってこなかった。その理由の一つは、「私などよりずっとつらい目に合われた方がたくさんいらっしゃる」という思いと、「どんな悲惨な経験があったかを話したとしても、~国は戦争を始める」と考えるからだ。それよりも、「もっと学ばなければならないのは、そうなる前のこと、どうして戦争を始めてしまったのか、であり、どうしたら始めないで済むのか、そしていったん始まってしまったあと、為政者は、国民は、どう振る舞ったのか、なのではないでしょうか」と語り、実体験を踏ったあと、「民主主義教育一期生としての戦後体験」「戦争を欲しないならば、何をなすべきか」と話は進む。そして最後に「もしもきみらが戦争を欲しないならば、繕え、平和を」(フランスの民衆詩人、ジャック・プレヴェール)と呼びかけるのだ。
ブックレットの表紙には、帯の形で、「ナンセンスなことには、『ナンセンス』というのです。」と書かれている。80年前の岡山を忘れず、今、何をなすべきか考えたい。
高畑勲氏は、父親である浅次郎氏が三重県の教員時代に、現。伊勢市に生まれる。父親が岡山一中の校長になり岡山に転居。(浅次郎氏は後、岡山県教育長、初の岡山名誉県民となった人である)現・岡山大学付属小学校、中学校、朝日高校、東京大学仏文科と進み、フランスのアニメーションに惹かれアニメ-ション監督となる。東映映画で一緒だった宮崎駿とスタジオジブリを設立。『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』『かぐや姫の物語』など。『ホーホケキョとなりの山田君』は、玉野出身のいしいひさいち氏が原作である。2018年4月、惜しまれつつ世を去った。
2023年10月に、岡山市は「ユネスコ創造都市ネットワーク文学分野」に加盟した。
岡山(市だけでなく県全体で)は、「文学創造都市おかやま」の名に恥じない、数々の実績があるが、私は特に岡山出身(ゆかり)の作家たちが多いことを挙げておきたい。その作家たちを中心に、それぞれの作品の中に岡山の描写が多いこともうれしいことである。
これから、このコーナーでは、読み応えのあるそれらの作品と、岡山がどのように文中で書かれているかを紹介していきたい。
作品が一都市だけに向けて書かれていることはもちろんなく、普遍的なものであるのだが、その作品を味わうと同時に、身近な場所が文中にあることで、より岡山に親しみを感じたり、その場所を歩いてみたりしようと思っていただければ幸いである。「文学」も広くとらえ、ノンフィクションも、映画など他のメディアなども含み、比較的新しい作品を取りあげていきたいと思っている。愛読してくださるとうれしい。
所在地: 〒700-8544 岡山市北区大供一丁目1番1号
電話: 086-803-1054
ファクス: 086-803-1763