ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

スマートフォン表示用の情報をスキップ

Language

三谷公園・金剛童子(内田百閒歌碑)

[2010年2月3日]

ID:6529

ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます

三谷公園は紅葉や桜の名所として知られ、閑静で趣のある公園です。
公園の入り口には金剛童子と呼ばれる神社があり、この神社の裏には、「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿の像が祀られています。
神秘的な雰囲気を醸しだす金剛童子の歴史をご紹介します。

金剛童子と3猿の像(コラージュ)の画像

金剛童子と3猿の像(コラージュ)

岡山は、中世以来河川交通の最先進地であり、吉井川では高瀬舟が行き交い、様々な物資が運ばれていました。この頃の吉井川は、岩が出ているところや、流れが激しいところがあり、特に五本松(東区瀬戸町南方)の下は、船の難所でした。そこで船頭達は、五本松のところに船霊様(船の守護霊)の祠を建て祀りました。

その後、天正年間(1573~1591)に、三谷山(東区瀬戸町南方)の上に祠が移され、福岡(瀬戸内市長船町)の妙興寺の僧が金剛童子と名づけました。
ある時、村人が金剛童子の境内の木を切ると、山が鳴動して止まないので、祈祷してもらったところ、木を切った祟りだと言うので、山の下へ社殿を建て祀りました。それが現在の社殿のある場所です。
そのころの金剛童子の近辺には、年貢米を積み降ろしする波止場(波止巻石遺跡)があり、船頭や旅人の休憩所などもあったようです。

金剛童子は船の安全を祈る神様でしたが、現在は、病気の神様、子供の守り神として信仰されています。また庚申信仰や日枝神様(どちらも猿を神の使いとしています)とも関係があることから、赤や白の布で作った「くくり猿」を奉納したり、「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿の像が祀られています。

内田百閒歌碑

また、岡山市中区出身の随筆家・小説家 内田百閒は、幼少の頃、信心深い祖母に連れられ、しばしば金剛童子へ参拝に来ていたということです。この様子は百閒の著作「麗らかや」に描かれています。このほか内田百閒全集第18巻「つはぶきの花」所収の「三谷の金剛様」という著作の舞台にもなっています。

百閒は熱心な鉄道ファンとしてもよく知られていますが、JR万富駅と熊山駅の間、吉井川をまたぐ鉄橋があり、この鉄橋は内田百閒全集15巻「春光山陽特別阿房列車」で、「曲がった鉄橋」として紹介されています。この鉄橋は全国の鉄道写真ファンの間では有名な鉄橋となっています。

三谷公園(金剛童子)には、百閒ゆかりの地として、百閒の句碑が建立されています。

句碑の後ろの池には三谷山の山水をひいた噴水がありますが、山水のため水温が低く、2月頃は、池の中の草花の葉が凍って自然の氷の芸術が見られます。

吉井川に架かる曲がった鉄橋

お問い合わせ

東区役所 瀬戸支所 産業建設課

所在地: 〒709-0897 岡山市東区瀬戸町瀬戸45 [所在地の地図]

電話: 086-952-1114 ファクス: 086-952-2840

お問い合わせフォーム