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足守の見どころ(町並み編)

[2014年7月11日]

ID:4806

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足守町並み保存地区

足守藩は、1601年(慶長六年)に、太閤秀吉の正室北政所(通称ねね)の兄であった播磨姫路城主木下家定が領地を備中に移され、二万五千石を領したことに始まります。
明治以降、急速に失われた貴重な城下町の風景が今もなお色濃く残されており、歴史的、文化的資料も多いため県の町並み保存地区に指定されています。

まちなみ保存地区の地図

近水園(086-295-0981)

足守町並み保存地区の北端にある県指定名勝、近水園。足守藩主木下家の庭園は、足守川の水を引き入れた池泉を中心に回遊式をとる小堀遠州流のもの。江戸初期の庭園にふさわしく、閑静なたたずまいを見せています。
園内の池泉に浮かぶのは、藩主の長寿と繁栄を象徴する鶴島と亀島。鶴島には木下家十四代当主利玄の歌碑が建てられています。また、めずらしいマリア燈篭などもあります。

吟風閣

池畔に建つ吟風閣は、六代当主木下きん定が建てたもの。京都の仙洞御所と中宮御所の普請を仰せつかった折、その残材を持ち帰って建てたもの。飾らぬ数寄屋造りの意匠が園の風景に溶け込んでいます。

近水園の桜と吟風閣
近水園の紅葉と吟風閣

侍屋敷(旧足守藩侍屋敷)

白壁の長屋門と土塀に囲まれた、足守藩家老杉原家旧邸宅。
武家屋敷は、当時の武家の生活様式を知る上でとても貴重な存在です。母屋は伝統的な武家書院造の構造を持ち、今日の和風建築の原型とも言われています。
庭には多くの草花があり、四季それぞれに異なる趣を見せてくれます。
(086-295-0983)

侍屋敷

緒方洪庵誕生地

足守藩に産まれ、江戸で蘭学を学び、のちに福沢諭吉、橋本左内、大鳥圭介らを輩出した「適塾」を開きました。また、日本での種痘普及に取り組み、多くの人の命を救いました。日本における西洋医学普及の基礎を築き、幕末・維新のリーダーを育てた偉業を称え碑と像が建立されています。

緒方洪庵生誕地

藤田千年治邸

藤田千年治という人は、この地で醤油製造業をはじめた創始者。代々の当主がその名を引き継ぎました。
江戸時代末に建築され、明治以降に本瓦葺き入母屋二階作り漆喰塗りという豪壮な造りとなりました。内部には当時の醤油工場の様子が再現され、かつての商家の様子を伝える展示も行われています。
(086-295-0005)

藤田千年治邸

備中足守まちなみ館

もともとこの地にあった商家で、駐在所や郵便局としての利用もされていました。現在は、かつての姿を残しつつ抜本的な改築が施され、観光ボランティアが在中するなど、観光情報センターとしての役割を果たしています。
巧みに組み合わされた屋根面の造形が印象的で、格子窓、二階の虫籠窓、生子壁などがかつての商家の雰囲気を再現しています。
(086-295-2500)

備中足守まちなみ館

足守歴史庭園

和風の庭園と木下利玄、緒方洪庵、北政所など足守にゆかりのある人の銅板が掲示されている。足守の町並み入口付近にあるので、観光客など訪れた人々のふれあいの場となっています。

足守歴史庭園

あしもりプラザ(086-295-0001)

格子窓に漆喰の壁、瓦屋根という、陣屋町のたたずまいが町並みに溶け込む新しい情報発信と交流拠点。足守だけでなく、吉備路観光、岡山観光の拠点として親しまれています。

洪庵茶屋

地元産の新鮮な食材を用いた郷土色豊かなお食事をご堪能下さい。

足守プラザと洪庵茶屋

木下利玄生家

木下家十四代当主の木下利玄の生家。木下利玄は明治十九年に生まれ、5歳で上京。学習院、帝国大学国文学科へ進み勉学に励むかたわら、歌の道へも精進を続け、後には武者小路実篤や志賀直哉らとともに雑誌「白樺」を発刊。利玄調といわれる歌風を完成させ、明治大正の文学史に大きな足跡を残しました。

木下利玄生家

長屋門

  • 開門日
    4月から11月まで 金・土・日・祝日
    12月から3月まで 日曜のみ
  • 開門時間
    9時30分から16時30分

母屋

  • 開門日
    4月から11月まで 第1・3日曜日のみ
    12月から3月まで 第1日曜のみ
  • 開門時間
    9時30分から16時30分
    ※母屋の中に入って見ることはできません。

(土木農林分室:086-286-9070)

お問い合わせ

北区役所 足守地域センター

所在地: 〒701-1463 岡山市北区足守718 [所在地の地図]

電話: 086-295-1111 ファクス: 086-295-9081

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