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足守の見どころ(寺社・史跡編)

[2016年7月13日]

ID:4792

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岡山市北部のごく限られたエリアでありながら、重要な文化財が集中する足守地区。
足守の地名は、古くは日本書紀応神天皇二十二年(推定五世紀初頭)の期に「葉田葦守宮」の記述に見られます。「葦守」が「足守」に転じており、「葉田」は「秦」を示します。弥生時代~平安時代~武士の時代と移っていく中で、交通や戦略上の重要拠点となった足守には由緒ある神社が多くあり、古代吉備文化圏で重要な一角を占めていたことでしょう。

寺社・史跡の地図

葦守八幡宮と石鳥居

領内総鎮守として古くから信仰を集める葦守八幡宮。応神天皇行幸の旧跡として知られるこの宮は、天皇から一帯の領有をまかされた応神妃兄姫の甥の吉備仲彦が、天皇の徳を追慕して創建したと伝えられています。康安元年(1361年)と刻まれた門前の石鳥居は、銘のあるものとしては日本最古であり、国の重要文化財に指定されています。年号にならんで神主に古代足守郷に勢力をふるった賀陽氏の名が刻まれていますが、宮を創建した吉備仲彦は香屋臣の祖。その血統が賀陽氏に引き継がれているといいます。

葦守八幡宮
葦守八幡宮石鳥居

大光寺

四代足守藩主木下利当が木下家の菩提寺として創建したもの。寺には豊臣秀吉や北政所、代々足守藩主の肖像画が伝えられています。本堂左手の建物が木下家一族や秀吉、北政所の位牌を安置する県指定重要文化財大光寺霊廟。五七の桐という太閤秀吉の紋が掲げられ、非常に特殊な構造を持つ建物は、推定元禄年間(1688から1703)の創建。本堂裏山には木下家代々の墓地があります。

大光寺

龍泉寺

古くから、雨乞いの神様である龍王信仰の聖地であった龍王山の西麓にあるこの寺は、報恩大師により天平勝宝年間(749から757)に創建されたと伝えられています。現在の龍泉寺を再興したのは日護上人で、日蓮宗と稲荷信仰が一体となった祈りの寺として全国の信仰を集めます。
寺のシンボル龍王の滝を中心に、毎年7月にはお滝まつりが行われます。

龍泉寺

星神社

奈良時代にこの地に落下した隕石を祀ったとされる神社。
落下した隕石を御神体としている説があり、信仰の対象となっています。このあたりの地名である「真星」はこの逸話およびこの神社に由来します。

星神社

縣幡神社

神武天皇御東征の際、富島の宮から吉備の奥津方面に荒ぶる神がいると聞き、平定しようとこの里に入られた時に、山の峰に御旗が懸かっており、その旗には武甕槌命、経津主命の御名があったので、この地を懸幡といい2柱の神を奉祀したと伝えられている。(岡山県神社庁のホームページより引用)

  • 武甕槌命
  • 経津主命

古事記、日本書紀において、葦原中国平定をした神とされています。

縣幡神社

鼓神社

上高田地区の宮山に鎮座する鼓神社は、古くは延喜式に備中二ノ宮と記載される由緒ある神社。吉備津彦命の妃高田姫などを祀る。
本殿左奥にあるのが国指定重要文化財の宝塔。神社の再興に尽力した鎌倉末の僧正円阿闍梨の墓といわれます。総高は四メートルあまりと県下最大。南北朝時代の代表的な様式を示し、葦守八幡宮鳥居にもある工人妙阿(みょうあ)の名と貞和二年(1346)の年号が刻まれています。

鼓神社
宝塔

上願寺

下高田地区にある上願寺は、天平勝宝年間(749から757)ころ、報恩大師により開基されたという古い歴史を持つ寺。本堂わきにある鐘楼の県指定重要文化財となる梵鐘は鎌倉期の鋳造。平清盛が造立した上高田地区の清水寺で戦火にあったものがここに運ばれたものです。

上願寺
上願寺梵鐘

安養寺

日近川左岸の中腹に堂を構える安養寺は、平安時代初期に弘法大師の甥にあたる円珍によって開山されたといわれる古刹。臨済宗の開祖である栄西の得度した寺として有名で、境内には栄西手植えの菩提樹があります。栄西は代々備中、足守に勢力を持つ賀陽氏一族であった吉備津神社の神官の家に生まれ、永治元年(1141)11歳の時、父の親友であった安養寺の僧、清心に師事。14歳で仏門に入りました。

安養寺

お問い合わせ

北区役所 足守地域センター

所在地: 〒701-1463 岡山市北区足守718 [所在地の地図]

電話: 086-295-1111 ファクス: 086-295-9081

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