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オリエント美術館とは

[2024年4月3日]

ID:22216

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オリエントとは

「オリエント」という言葉は、ラテン語で太陽が昇る方向、東方を意味する「oriens」に由来します。欧州諸語に受け継がれたOrientという用語が示す地理的範囲は、時代や地域、立場によって一定ではありません。日本における歴史や文化の記述で用いられる「オリエント」は、ユーラシアにおける中国文化圏と欧州文化圏の狭間の地域を指します。具体的には中央にメソポタミア(おおむね現イラク共和国の範囲)が位置し、西はエジプトを含む北アフリカ、北はアナトリア(現トルコ共和国の範囲)、南はアラビア半島、東はアフガニスタンあたりまでを含む広大な地域です。

アフリカで誕生した人類は、現在のイスラエルやレバノン、またはアラビア半島を通って世界へ拡散していきました。農業は今から約1万年前に「肥沃な三日月地帯」のいくつかの地域ではじまり、ヨーロッパや東方へ拡がりました。メソポタミア、エジプト、インダス平原では古代文明が興り、都市社会が発達しました。金属、ガラスという人工素材は西アジアで開発されました。諸王朝が興亡を繰り広げ、ローマ・ビザンツ帝国とペルシア諸王朝がユーラシア西半を二分する時代には、シルクロードを通じて、大陸規模で人と文化が行き交いました。ユダヤ教、キリスト教は現在のイスラエルで興りました。サウジアラビアのメディナでイスラームが生まれ、中東のイスラーム帝国の芸術や学問は世界をリードしてきました。現代では、中東の石油に世界中の人々が強く依存しています。漫画やゲームなどのサブカルチャーでは、オリエントの英雄や神々がモデルとなり、活躍しています。オリエント世界は、古代から現代にいたるまで、世界の歴史、人々の暮らしに大きな影響を及ぼしてきた地域ということができます。

オリエント美術館はこの広大かつ深淵なオリエント世界の考古・美術・民俗資料を専門的に収集・保存し、調査研究に基づいて、展示・公開しながら、古代から現代にいたるオリエントに関するさまざまなトピックをいろいろな視点から紹介するミュージアムです。

地図の画像をクリックすると、PDFでご覧いただけます。

Click here for the PDF of map and chronological table in English version.別ウィンドウで開く

オリエント美術館開館ストーリー

メソポタミア展 1967年

「メソポタミア展」図録

1967年7月、岡山県総合文化センター(現 天神山文化プラザ)にて「美術の誕生 メソポタミア展」が巡回開催されました。バグダードのイラク国立博物館から古代メソポタミア文明の重要資料が出品された展覧会は、岡山では初の大型海外美術展で、大変な来場者があったそうです。その一人が、農業機械の製造販売、倉庫業や予備校などを手掛けていた実業家、安原真二郎さん(1911–80)でした。安原さんはこの展覧会で、これまで親しんできた日本や中国、西欧とは違う、メソポタミアの美術にはじめて触れ、「目の覚めるような感銘」を受けたと述べています。

安原真二郎と江上波夫 1967-1972年

左から、江上さん、安原さん、山本さん

東京大学名誉教授の江上波夫さん(1906–2002)(写真左)は、戦後日本初となる大型海外学術調査として、1956年からイラクやイランで遺跡の発掘調査を指揮していました。「メソポタミア展」が岡山に巡回した1967年、江上さんは岡山で記念講演をします。この展覧会を県職員として運営していた山本遺太郎さん(のちに初代館長)(写真右)の紹介で江上さんに出会った安原さん(写真中央)は、その年の秋、江上さんが引率する「オリエントの旅」に参加します。イラン、シリア、レバノンをめぐる旅の途中、江上さんから、日本のオリエント研究の現状として、欧米と比べ、日本には標本となる資料が圧倒的に少ないことを聞かされました。これに触発された安原さんは、まずは江上さんの薦める土器数十点をこの旅の中で早速買い求めます。その後、1972年1月までの間に3回、西アジア各地を旅行し、オリエントの考古美術品を猛烈な勢いで収集しました。

写真 安原さんと山本さんがイラク、チグリス河畔のクルナ村で水没文化財の調査をしている江上さんの調査団を訪れた時のもの(1972年)。

三笠宮崇仁親王殿下とオリエント美術館開設準備委員会 1969-1979

安原さんは、日本のオリエント研究の役に立ちたいとの思いで収集をはじめ、やがて日本初のオリエント美術館を作りたい、という目標を立てました。安原さんの熱意は古代オリエント学者でもある三笠宮崇仁親王殿下の聞き及ぶこととなりました。1969年11月に立ち上げた「オリエント美術館設立準備委員会」には、三笠宮殿下も臨席されたのです。しかし1972年、安原さんは闘病生活を強いられることになります。岡山市は翌年、安原さんのコレクションを受贈することを表明し、美術館建設が進められることになりました。1979年4月6日、安原さんはいまだ病に伏していましたが、三笠宮殿下を来賓に迎え、オリエント美術館がついに開館しました。三笠宮殿下はその後、当館名誉顧問にもご就任いただき、何度となく、オリエント美術館へおいでになり、当館をご指導くださいました。

オリエント美術館開設準備委員会

前列中央にお座りになられているのが三笠宮殿下と百合子妃殿下。後列両殿下の間に立っているのが安原真二郎氏。その左は当時の岡山県知事、加藤武徳氏。加藤氏の左、一人挟んで岡﨑林平氏(岡﨑コレクション収集者)、安原氏の右に深井晋司氏(東京大学教授)、右端は山本遺太郎氏(初代館長)。

岡山にオリエント美術館があるということ

オリエントの考古美術資料といえば大英博物館やルーブル美術館、メトロポリタン美術館など、欧米のミュージアムのコレクションが有名ですが、世界中どこにでもあるわけではありません。日本でまとまった数のオリエント・コレクションをいつでも観覧できる専門ミュージアムは、東京に1館ある他は、ここ岡山のオリエント美術館しかありません。

オリエント美術館の近隣には、岡山の歴史や文化、美術を展観するミュージアムが複数集まり、一帯を「岡山カルチャーゾーン」と呼んでいます。その中で海外の考古美術資料を専門とするオリエント美術館は異彩を放っています。しかしそのことが「岡山カルチャーゾーン」に、他にはない、岡山だけの文化ゾーンとしての特色をもたらし、岡山の文化資源環境を全国的にもユニークで豊かなものにしているといえます。

お問い合わせ

教育委員会事務局生涯学習部オリエント美術館

所在地: 〒700-0814 岡山市北区天神町9-31 [所在地の地図]

電話: 086-232-3636 ファクス: 086-232-5342

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