岡山市南区にある藤田地区をはじめとする児島湖・児島湾岸のエリア。
児島湾に沈む夕日や風になびく麦畑など、豊かな自然がおりなす風景が広がっています。今では児島湾干拓地を中心に農業が盛んに行われている藤田地区ですが、昭和30年代までの長い間、水不足や塩害に悩まされてきました。今でも、昔の人々が水を得るために知恵をしぼり苦労を重ねてきた証として、干拓に関するものや樋門が残されています。
そんな藤田地区・児島湖周辺を自転車でぐるりとめぐってみませんか?心も体もリフレッシュできるサイクリングコースをご紹介します!
奈良時代から干拓が行われてきた児島湾岸の干拓地は長い間、水不足や塩害に悩まされていました。それらの問題を解決するために、1959年に児島湾締切堤防がつくられて淡水湖である児島湖が生まれました。
季節や時間ごとに様々な表情を見せる児島湖の景観を楽しみながら自転車を走らせてみましょう!
南ヨーロッパをモチーフにした白い塔が特徴的な岡山市サウスヴィレッジ。園内には果物狩りや雑貨作りが体験できるだけでなく、ロードサイドマーケットでは農家が直接出荷する野菜を買うこともできます。サイクリングの途中で立ち寄って休憩したり、家族や友達と過ごしたりするのも楽しいスポットです。
ルートをちょっとそれて川や水路に目を向けてみると、明治時代から残る樋門(ひもん)に出会うことができます。上流からの水をためて農地に水を引き、下流からの逆流を防ぐなど、地域の農業には必要不可欠だった樋門。レンガづくりのもの、いくつかの門が連なっているものなど、ユニークな樋門を見ることができます!
水不足に悩む藤田の人々が、上流の村に頼みこんでようやく引くことのできた農業用水路。そこに1904年に建てられたのが丙川三連樋門です。レンガと石でつくられ、3つの水の通り道のあるこの樋門は、現在も使用されています。用水路は物資を運ぶ船が往来し、丙川三連樋門のまわりは「港」としても使用されていました。
1904年頃に建てられたアーチ状の樋門で、レンガと花崗岩のきれいな組み合わせが目を引きます。
一度は国道30号線の工事で撤去されそうになりましたが、樋門を残すために立ち上がった人々による熱心な保存運動のおかげで、2002年に藤田都スポーツ広場に移築保存されました。
児島湖周辺の干拓地には広い農地が広がっており、春には麦が、秋には米が豊かに実ります。ちょっと走るスピードを落として、風になびく麦の穂や稲穂を見ながら走ってみてはいかがでしょう?
岡山市中央卸売市場では、野菜や果物、魚などの新鮮な食材が毎日取り引きされています。市場内にある市場ふくふく通りには、誰でも買い物や食事に立ち寄ることができます。また毎月18日には旬の食材の販売や様々なイベントを行う「市民イチバデー」が開催され、多くの人でにぎわっています。
※市場の見学をご希望の方はこちら!
岡南飛行場の近くからはまっすぐな道が続き、どこまでも広がる空を見ながらサイクリングを楽しむことができます。阿部池付近からはきれいな夕日を眺めることができるので、日の入りの時間を目指して行くのもおすすめです!
錦保育園で子どもたちに紙芝居の読み聞かせを行う様子
語り部の会の方々
藤田地区には、水をめぐって環境・地形・気候と向き合い、自然とたたかい苦労を重ねた人々の物語が息づいています。
藤田地区の歴史とともに、藤田に伝わる物語を後世に残すために活動しているのが「藤田語り部の会」のみなさん。2006年より活動を始め、公民館イベントや小学校などで紙芝居を発表しています。紙芝居は年に2つの作品がつくられているのだそうです!
藤田地区の田んぼに迷い込んだ錦鯉が水害の危機にさらされた藤田地区を守ったお話から、藤田地区における水や用水路と人々との深い関わりを感じることができます。
「今では蛇口をひねれば、いつでも簡単に水を得ることができます。しかし、かつては『水の一滴は血の一滴』といわれたほど、水はとっても貴重なものでした。昔の人々は長い長い間、自然環境と向き合い、農業用水や飲み水としての真水を得るために大変な苦労を重ねてきたんですよ。この歴史を知ることで、若い人々が『水の大切さ・ありがたさ』を考えるきっかけになってほしいですね。これからも藤田地区の歴史を残し、若い世代に引きついでいくために、語り部会の活動に取り組んでいきたいと思います」とみなさん。興味を持った方はぜひ藤田公民館にお問い合わせください!
藤田の西、大曲地区に設置された井戸。その形から「八角井戸」と呼ばれています。干拓地では、井戸を掘っても塩水が出ることがほとんどだったため、真水がわき出るこの八角井戸は大変貴重なものでした。井戸を守るためにレンガでしっかりとつくられており、長い間人々の暮らしを支えていました。いまも八角井戸広場(岡山市南区藤田8-9付近)に現存します。
写真は「みおつくし」と呼ばれる「川の交通標識」。藤田の用水路は、真水をはじめ物資を運ぶために船が行き来していましたが、川の河口では水深の浅いところが多く、船が座礁してしまう危険性がありました。そこで、船を運行する人たちに水深の浅い地点を知らせるためにみおつくしを設置していました。自転車のペダルをこぎながら、「みおつくし」※を探してみるのも楽しいのではないでしょうか。
※みおつくしは、倉敷川沿いに現在十数基が残っています。