石井十次は、日本で最初の孤児院である岡山孤児院を創設した人物です。
児童救済に力を尽くし、生涯で3,000人ほどの孤児を救済しました。
その偉大な功績から「児童福祉の父」と言われています。

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)
| 年号 | 年齢 | 内 容 |
|---|---|---|
| 1865 (慶応元年) | 0 | 4月11日宮崎県児湯郡上江村(現・高鍋町)に生まれる。 |
| 1882 (明治15年) | 17 | 岡山県甲種医学校に入学。 |
| 1884 | 19 | 岡山基督(キリスト)教会牧師・金森通倫より洗礼を受ける。馬場原教育会を立ち上げる。 |
| 1887 | 22 | 邑久郡大宮村上阿知の診療所へ代診に赴く。四国巡礼帰途の母親から男児を1人預かったのをきっかけに、孤児救済事業を始める。門田村の三友寺に孤児教育会(後に岡山孤児院と改称)を設立。 |
| 1892 | 27 | 名古屋に震災孤児院を設立。 |
| 1893 | 28 | 震災孤児院を閉鎖し、全院児を本院へ移す。 |
| 1894 | 29 | 院内に「活版部」「理髪部」「機業部」など、実業教育を兼ねた事業部を設置。宮崎・茶臼原へ移住開始。 |
| 1897 | 32 | 私立岡山孤児院尋常小学校開校。 |
| 1899 | 34 | 大原孫三郎と出会う。 |
| 1902 | 35 | 大阪出張所設立。教育功労で藍綬褒章を受賞。 |
| 1907 | 42 | 東京事務所、大阪事務所を開設。救世軍の創始者ウイリアム・ブースが来院。 |
| 1909 | 44 | 大阪日本橋に愛染橋保育所、日本橋同情館を開設。 |
| 1912 | 47 | 宮崎・茶臼原に移住完了。 |
| 1913 | 48 | 長女友子が児島虎次郎と結婚。 |
| 1914 (大正3年) | 48 | 1月30日永眠。 |
石井十次が岡山市東区上阿知で代診を行っていた際に、四国巡礼帰途の母親から男児を1人預かったことから岡山孤児院は始まります。
そのため、岡山市東区上阿知が「岡山孤児院発祥の地」と呼ばれています。
現在は大師堂が残っており、石井十次に関する展示を見ることができます。
岡山市東区上阿知2258
岡山孤児院発祥の地の近くに「石井十次資料室」があります。
石井十次に関する資料の展示があり、石井十次の軌跡が学べます。
詳細については、「石井十次に学ぶ会」のホームページをご覧ください。
岡山市東区下阿知891(旧大宮幼稚園)
倉敷紡績二代目社長の大原孫三郎は、倉敷絹織(現クラレ)、第一合同銀行(「中国銀行」の前身)などの社長も務めた実業家として有名ですが、社会事業家としても知られています。
大原孫三郎が社会事業に目覚めたきっかけが石井十次との出会いでした。
石井十次の活動に感銘を受けた大原孫三郎は、岡山孤児院の評議員として活動しながらも、財政危機の際にはその度に膨大な私財を提供し、十次の死後まで事業を支えた最大の理解者です。
児島虎次郎は、色彩鮮やかな人物画や風景画で知られる、日本における印象派の代表的な画家です。
大原美術館のコレクションの基礎を作った人物で、石井十次の娘婿です。
東京府勧業博覧会で一等賞を授賞し、宮内省買上げを受けた虎次郎の出世作の「なさけの庭」には岡山孤児院が描かれています。
所在地: 〒704-8555 岡山市東区西大寺南一丁目2番4号 [所在地の地図]
電話: 086-944-5038 ファクス: 086-944-5080