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戦争・戦災体験記:ソ連参戦と転進の行軍

[2010年3月12日]

ID:12485

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ソ連参戦と転進の行軍 佐藤 要治 80歳

私は昭和19年10月10日、満州独269大隊、225部隊、5中隊(砲中隊)入隊。(旧満州三江省富錦、旧満州~ソ連の国境)
昭和20年8月7日午前3時頃、突如非常呼集がかかり完全戦争用装備をして当部隊近くの「地下穴ぐら陣地」へ配置に付きました。この地下穴ぐら陣地は本格的に中隊兵士が何年もかけて、敵の砲撃にも耐えうる強固に築造した陣地です。
我が中隊がこの陣地に立て籠もって、その日の夜中、随分遠くに聞こえるドドドドドドと小地震的な地響きの音がだんだん近づいてくるようになり、これまで経験したことのない不気味な音に恐怖を感じ、それから又長く感じる時間が過ぎ、夜が明けてその正体が判明した。それはソ連軍の60t戦車、30輌位の編隊だったので度肝を抜かされた。この戦車の一斉射撃に加えて、自動小銃のパンパンパンの攻撃弾は、頭の上、耳のすぐ横をピューン、ピューンと打ち込んできて、もう今日で我が人生も最後かと無我夢中でした。
更に、この地上戦に加え、敵飛行機が低空飛行して、我が陣地にくまなく機関銃掃射をしてきて多くの戦友が戦死しました。
尚、更に満州とソ連の国境線を流れている川幅1km以上もある大河、黒竜江に浮かぶソ連戦艦からの大砲射撃はこれまた凄まじく、恐ろしい艦砲射撃を受けました。
それに比べ、我が日本軍は昭和20年春頃から兵力、武器弾薬等沖縄方面へと思われる南方の激戦地へ異動・移送され、ソ連参戦の現地では武装力が半減していた矢先の空から飛行機で、地上は戦車で、大河からは艦砲射撃と三方から一度に攻撃されたのですから、小銃1丁づつしか持たない我が日本軍兵士は、ここ富錦で「玉砕」するのかと思いました。この様に生か死かの激戦中に、この陣地に来てもう5日が経ち「めし」を食べる兵士は一人もいない。食欲喪失、皆水と少量のウイスキーを飲んで戦闘を続行中。
まして負傷者収容の仮テントの中は、大きなうめき声と大ケガの重傷者は苦しくて「殺してくれ」と大声で叫んでいる。テントの外には居れない、これが戦争なのか、苦しく、苦しくなってしまう。
だが8月13日「転進命令」が出た。行先は「方正」です。夜中の12時を期してソ連軍の包囲網を潜り、中隊毎に隙を見て先頭から一列の匍匐(腹ばい)前進で、約150m位の距離を長い時間をかけて、8月の夜は虫の音がピタリと止まり聞こえるのは自分の心臓の音だけ、その心臓が高鳴り、生まれて初めて自分の「心音」を自我に聞きました。1分が1時間にも感じられる長い必死の「脱出」に、やっと成功。これから40日間の「転進行軍」が始まりました。
8月は満州も蚊が多く、随分「安眠妨害」で朝3時、暗い内に行軍出発のときは先頭から最後尾まで中隊員約70人が歩きながら全員居眠り行進です。
8月14日から一路「方正」40日間も歩いたのですから岡山から下関位までは悠に歩いたでしょう。殆ど野宿でしたが、一度深い山へ8日間も入山したときは食物もなくなり、家が恋しくなって汽車の汽笛が聞こえた錯覚がありました。
深い山からやっと出てきたと思っていたら、次は広くてかなり水深のある湿地帯へ侵入し、腰までつかって半日以上も水の中を歩いたときは靴も足もおかしくなってしまった。
小休止してズボン、ゲートル、靴を少し乾かして又前進です。勿論、衣類の着替えは全員持っておりません。
この転進行軍中も終始、神経を尖らして歩いていましたところ、道路両脇に日本の開拓団の人達と思われる男女子どもの数十人もの死体があり、可哀想だと思いながら通り過ぎましたが、又別の日に同じような光景を見て、私達軍隊がなぜ助けてやれなかったのかと不愉快な気持ちになりました。
その後も毎日色々のことがありましたが、長い40日間の行軍で9月22日やっと「方正」に着きました。
到着後すぐにソ連軍の将校が来て、日本は8月15日に無条件降伏したのだから直ちに武装解除(武器弾薬を全部放棄)せよと指示され即実施しました。終戦を全然知らずにいて、ここ方正は日本の兵隊が次々に到着しそれぞれソ連へ船で移送され全員抑留しました。
我が中隊はソ連ハバロフスク第13収容所へ抑留し、長い4年間の抑留生活を経て昭和24年9月20日やっと帰国することが叶った。
引揚船「英彦丸」約2000人が乗船して日本の山が見えたとき、皆船の甲板へ出て「日本が見えたぞー」と大声を張り上げて約2000人全員が号泣した!
人間はなぜ戦争をするのだろう!戦争は怖くて、恐ろしくて、惨いことだ!どんな戦争でも、私は絶対戦争反対です!
今回の戦争で多くの戦友が戦死しました。心からご冥福をお祈りいたします。合掌

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