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(2~3月)「坪田譲治展 ~第30回坪田譲治文学賞記念」

[2015年2月12日]

ID:9221

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  • 期間
    平成27年2月11日(水曜日)~3月11日(水曜日)毎週月曜休館
  • 場所
    岡山市立中央図書館2階企画展示コーナー(入場無料)
  • 開催趣旨
    岡山市出身の児童文学者、坪田譲治を記念して、岡山市が設けた坪田譲治文学賞が今年で30回目を迎えました。
    岡山市立中央図書館は、多数の坪田譲治関連資料を所蔵しています。その一部は図書館内で常設展示していますが、例年坪田譲治文学賞の発表の時期にあわせて特別展示も行ってまいりました。
    そこで今年は、坪田譲治の文学活動に与えられた評価から、彼自身がどのような賞を授与されたか、をテーマにして展示公開を行います。

坪田譲治の文学活動と受賞

坪田譲治は、明治23年に岡山県御野郡石井村島田、現在の岡山市北区島田本町に生まれました。
大正4年に早稲田大学英文科を卒業すると、ランプ芯を製造していた実家の島田製織所の経営に携わり、帰郷と上京を繰り返す中、文学を志して同人誌等に作品を発表していました。
ところが昭和8年、43歳のとき、島田製織所の経営を巡り取締役を解かれたため、上京して文学に専念することとなりました。
以後数年間、「吾は窮鼠文学の猫を噛まん」という言葉で語るほど暮らしに窮するものの、強い覚悟で文学への情熱を燃やし続けました。
そしてこの時期に書かれた『お化けの世界』(昭和10年)、『風の中の子供』(昭和11年)、『子供の四季』(昭和13年)が文壇で高い評価をえて、坪田譲治の名は不朽となりました。

全集出版祝賀会芳名録(日本芸術院賞の対象となった新潮社『坪田譲治全集』(8巻)の出版祝賀会。写真と異なるページを展示していることもあります)の画像

坪田譲治全集を祝う会芳名録(日本芸術院賞の対象となった新潮社『坪田譲治全集』(8巻)の出版祝賀会。写真と異なるページを展示していることもあります)

坪田譲治年譜(本展の関係事項を中心とする)

  • 明治23(1890)年
    現在の岡山市北区島田本町に生まれる。
  • 大正4(1915)年(25歳)
    早稲田大学英文科卒業(在学中に小川未明を知り、文学の師と仰ぐ)。
  • 大正9(1920)年(30歳)
    小説「正太の馬」を同人雑誌『地上の子』に発表する。
  • 昭和2(1927)年(37歳)
    この年から鈴木三重吉主宰の雑誌『赤い鳥』に童話を発表する。
  • 昭和8(1933)年(43歳)
    島田製織所の経営から解かれ上京する。以後数カ年、困窮の中で文学に専念する。
  • 昭和10(1935)年(45歳)
    山本有三の紹介で『お化けの世界』が雑誌『改造』に連載、竹村書房より刊行される。
  • 昭和11(1936)年(46歳)
    『風の中の子供』が東京朝日新聞(夕刊)に連載され、竹村書房より刊行される。
  • 昭和13(1938)年(48歳)
    『子供の四季』が小穴隆一の挿絵で都新聞(現在の東京新聞)に連載される。
    『子供の四季』が尾崎士郎の序文で新潮社より刊行される。
    前年の『風の中の子供』で第1回北村透谷記念文学賞を受賞。
  • 昭和14(1939)年(49歳)
    『子供の四季』で第2回新潮社文芸賞(第2部)を受賞。
  • 昭和29(1954)年(64歳)
    『坪田譲治全集』全8巻を新潮社より刊行する。
  • 昭和30(1955)年(65歳)
    前年の『坪田譲治全集』で第11回日本芸術院賞を受賞、椿山荘で祝賀会を開催する。
  • 昭和31(1956)年(66歳)
    東久留米市の三男、理基男氏の自宅の一隅に書斎を新築する。
  • 昭和36(1961)年(71歳)
    雑司ヶ谷の自宅の一隅に「びわのみ文庫」を開設する。
  • 昭和38(1963)年(73歳)
    童話雑誌「びわの実学校」(隔月刊)を創刊し、以後主宰する。
  • 昭和39(1964)年(74歳)
    日本芸術院会員に推挙される。
  • 昭和44(1969)年(79歳)
    『びわの実学校名作選』(東都書房)で毎日出版文化賞を受賞。
  • 昭和45(1970)年(80歳)
    『カッパとドンコツ』で第17回サンケイ児童出版文化賞を受賞。
  • 昭和49(1974)年(84歳)
    文学の業績と童話雑誌『びわの実学校』10年の実績で朝日新聞社の朝日賞を受賞。
    『ねずみのいびき』で第12回野間児童文芸賞を受賞。
  • 昭和54(1979)年(89歳)
    岡山市議会において岡山市名誉市民の決定同意を得る。
  • 昭和57(1981)年(92歳)
    東久留米市で永眠する。
  • 昭和59(1984)年
    岡山市が坪田譲治文学賞を制定する。
日本芸術院から芸術院賞受賞を知らせる通知(日本芸術院賞受賞牌の付属資料)の画像

日本芸術院から芸術院賞受賞を知らせる通知(日本芸術院賞受賞牌の付属資料)

展示品

北村透谷記念文学賞 受賞牌 昭和13年
富本憲吉 茶碗
受賞の通知(第1回北村透谷記念文学賞)昭和13年
坪田譲治『子供の四季』(初版本)昭和13年、新潮社
坪田譲治『子供の四季』手稿 昭和13年
小穴隆一 坪田譲治氏肖像画(「T君」)昭和15年
『坪田譲治全集』(全8巻)昭和29年、新潮社
日本芸術院賞 受賞牌 昭和30年
芸術院賞受賞 芳名録 昭和30年
芸術院会員を祝う会 芳名録(2冊)昭和39年
朝日賞 受賞牌 昭和49年
坪田譲治編集『びわの実学校』 1~10、20、30、40、50、60、70、80、90、100、110、113号
坪田譲治編集『びわの実学校名作選』(幼年編)昭和44年、東都書院
坪田譲治『ねずみのいびき』 昭和48年、講談社
野間児童文芸賞 賞状・楯 昭和49年
坪田譲治 色紙『吾は窮鼠文学の猫を噛まん』

(写真パネル)
雑司ヶ谷の自宅にて(昭和27年頃)
雑司ヶ谷の書斎にて(昭和30年8月)
日本芸術院会員祝賀会・椿山荘にて -松谷みよこ氏より花束を受ける(昭和39年2月11日)
日本芸術院会員祝賀会・椿山荘にて -堀口大学、佐藤春夫、坪田譲治、同夫人(昭和39年2月11日)
びわのみ文庫書斎にて(昭和38年頃)
「びわの実学校」編集同人と共に

富本憲吉作 茶碗(北村透谷記念文学賞で富本憲吉作の陶器1点が授与されたとあり、関連が注目される)の画像

富本憲吉作 茶碗(北村透谷記念文学賞で富本憲吉作の陶器1点が授与されたとあり、関連が注目される)

このページに関するお問い合わせ先

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電話:086-223-3373 ファクス:086-223-0093
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