ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

スマートフォン表示用の情報をスキップ

Language

(9〜11月)「国吉康雄とふるさと岡山」

[2015年9月11日]

ID:9207

ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます

  • 会期
    平成27年9月12日(土曜日)~11月8日(日曜日)
    ・9月21日(敬老の日)を除く毎週月曜日と、館内整理期間(10月5日~14日)は休館です
  • 場所
    2階視聴覚ホール前 展示コーナー

国吉康雄(1889(明治22)年~1953(昭和28)年)は、岡山市中出石町(現在の北区出石町一丁目)に生まれ、岡山県立工業学校へ通いましたが、17歳のとき単身で渡米し、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで本格的に絵画を学ぶと、以後、アメリカ合衆国を代表する画家のひとりとなり、数々の作品を残しました。しかし、やがて日米開戦を迎え、あたかも敵対する2つの国の間で引き裂かれるかのように、彼の作品には憂愁を帯びた深い精神が宿っていきました。
このたびは、岡山で所蔵されている多数の国吉康雄作品を活用し「国吉祭」など岡山での国吉康雄顕彰活動を主催しているクニヨシパートナーズとの共同により、国吉の絵画技法を考究するために作成された、精密な模写作品および関連する資料を出品いただき、当館からも国吉と故郷岡山のかかわりを示す資料をあわせて展示いたします。
この展示を通じて、岡山が生んだ世界的な画家、国吉康雄について関心を深めていただければと存じます。

1.クニヨシパートナーズからの展示品

現在、国吉康雄と彼の作品を楽しみ、共有し、さまざまな活動に関連づけようとする動きが岡山で活発に行われています。
「国吉康雄作品模写プロジェクト」は、絵画制作を学ぶ学生が、国吉康雄のオリジナル作品を実際に見ながら、同じサイズで、可能な限り同じ素材を用いて模写するという試みです。2013年には2点の油彩画、2014年には4点のカゼイン画(乳製品に含まれるカゼインで顔料を定着させた絵画)が模写の対象となりました。
この模写プロジェクトは国吉康雄研究に大きく貢献するとともに、学生自身の創作活動の糧ともなります。また完成した模写作品は学校や公民館などで、地域の方々が対話しながら鑑賞する際に使われ、親しまれています。今回はその中から2点を展示します。
また、岡山市立中央図書館もそのロケ地となった、岡山市製作国吉康雄プロモーションドラマ「国吉康雄を探して」(2013年)についてもご紹介します。
さらに、岡山市立中央図書館の所蔵資料との関連として、福武コレクションなどのアーカイブより、昭和6年の国吉康雄の帰郷に関する資料、1954年の「国吉康雄遺作展」の当時のポスターも展示します。

おもな展示品

  • 模写作品「夢」(広島市立大学芸術学部美術学科 結城黎氏)
  • 模写作品「安眠を妨げる夢」(広島市立大学芸術学部協力研究員 羽戸千香子氏)
  • 模写制作時のドキュメント写真
  • 1932(昭和7)年の国吉の帰岡に際して、岡山市内、西大寺町の明治製菓で開催された石版画(リトグラフ)展に出品された作品の複製(7点、サイズは縮小)
  • 2013年岡山市製作ドラマ「国吉康雄を探して」スチル写真ほか資料
「模写作品の展示の情景」の画像

模写作品の展示の情景

2.岡山市立中央図書館の所蔵資料から

岡山市立中央図書館の所蔵品から、国吉康雄に関連する資料として下記を展示します。

  1. 国吉の生年(明治22年)と、父の見舞いで一時帰国した年(昭和6年)に近い時期の、岡山の市街の様子がわかる地図と市街図
  2. 昭和6年の国吉の一時帰国と、翌年に岡山で開催された石版画展を報じた新聞の記事(なお、新聞原紙は資料保存と展示スペースの都合から短期ずつ入れ替えをします)
  3. 岡山開催のものを中心に、戦後の国吉への評価の歩みがうかがわれる、展覧会の図録

展示品

  • 根岸清年画、丸山三造彫刻『岡山区市街図』橋本紋三郎、明治20年(資料番号52664)
    国吉が生まれた明治22年は、岡山に市制が敷かれた年。その2年前のこの地図ではまだ「岡山区」です。周囲には主要な建物のイラストが加えられています。
  • 『一目で判る岡山案内』岡山実業研究会、昭和7年(資料番号10205268)
    国吉は、昭和6年に父の病気見舞いと日本での展覧会開催のため、生涯で唯一の一時帰国をしましたが、その翌年のこの図には、当時の市街の様子がわかりやすく示されています。
  • 「山陽新報」昭和6年10月17日記事および「中国民報」昭和6年10月17日記事
    いずれも一時帰国中の国吉の、故郷の岡山への到着を報じている貴重な記事です。アメリカで名を遂げつつあった国吉に対する当時の日本社会の受け止め方が伝わってきます。
  • 「中国民報」昭和7年1月16日、および同紙17日付け記事
    昭和6~7年に、東京、大阪、岡山で国吉の石版画展が開催されました。岡山では昭和7年1月17~18日に中国民報社の後援で西大寺町の明治製菓で開催されましたが、これはその広報記事です。
  • 国立近代美術館編『国吉康雄遺作展目録』美術出版社、1954年
    アメリカで国吉が死去した翌年に東京国立近代美術館で開催された回顧展の図録です。彼の作品のみの単独展は昭和6~7年の石版画展以来で、本展が国内初の大規模展となりました。なお、福武コレクションより、この展覧会のポスターも展示されます。
  • 『第2回郷土作家展 国吉康雄・坂田一男』岡山県総合文化センター、1971年
    パリへ留学してキュビスムを学び、戦後の岡山県下で抽象絵画を探求した坂田一男は、国吉と同年の生まれです。2人を取り上げた展覧会が比較的早い時期に地元で開催されています。
  • 『郷土が生んだ世紀の巨匠 国吉康雄里帰り作品展』岡山天満屋、1974年
    昭和49年9月に岡山天満屋で開催された、日本国内の所蔵品による展覧会です。なお、この翌年には日米の作品で東京、名古屋、神戸を巡回する大規模展が開催されています。
  • 『郷土の生んだ国吉康雄とその時代の画家たち展 福武コレクション』朝日新聞社、1982年
    天満屋岡山店を会場に開催されたこの展覧会は、その数年前から本格的な収集が始められた福武コレクションの、最初の大規模な紹介となりました。
  • 『生誕100年記念 ニューヨークの憂愁 国吉康雄展』日本テレビ放送網、1989年
    国吉の生誕100年を記念して、アメリカと日本の代表作を集めて東京、岡山(岡山県立美術館)、京都で開催された展覧会の図録です。
「国吉康雄の帰岡を報ずる「山陽新報」昭和6年10月17日の記事」の画像

国吉康雄の帰岡を報ずる「山陽新報」昭和6年10月17日の記事

「『一目で判る岡山案内』岡山実業研究会、昭和7年」の画像

『一目で判る岡山案内』岡山実業研究会、昭和7年

このページに関するお問い合わせ先

中央図書館

電話:086-223-3373 ファクス:086-223-0093
所在地:〒700-0843 岡山市北区二日市町56[地図別ウィンドウで開く
Eメールでのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。
(お問い合わせの際、図書館の利用者カードをお持ちの方は、「内容」欄に利用者番号
(8桁の数字)もご記入ください。)