城の心臓部・本丸 その構造と建造物の特徴

本丸の構造
■三段に分かれた本丸
 岡山城の中心である本丸は、高い順に本段、表向(中の段)、下の段の3つの段から成っている。ただ単に3つに分かれているのではなく、そこに宇喜多・小早川・池田の3家による築城の歴史の跡が残されており、またそれがそのまま日本城郭建築史の特徴を表しているという、極めて貴重な例である。
●本 段
 最も高い本段は北端に天守閣・中央に御殿を有し、宇喜多時代にほぼ全体が完成、その後若干改造されている。北〜東〜南面石垣は鈍角に折れ曲がる角を多用していて直角の角がひとつもなく、西面は細かく折れ曲がった屏風折の形状をしている。また、周長の割りに櫓が2棟と少ない。これは豊臣秀吉が築いた大坂城本丸によく似た形状で、秀家による岡山城築城が秀吉の影響を強く受けて行われたことが窺えよう
●表 向(中の段)
 本段よりやや低い表向は藩政庁兼藩主公邸たる御殿が大部分を占める。宇喜多時代に一部が築かれ、小早川時代に南部分、池田時代に北部分が大幅に拡張され、現在の形になった。鈍角の石垣に囲まれた本段とはまったく意匠を異にし、表向は直角に曲がる石垣上に多数の櫓が配置されている。これは関が原合戦後に築かれた多くの城で採用されている形式である。
●下の段
 本段・表向を低く囲む下の段は、内堀沿いが宇喜多時代、旭川沿いは池田時代に築かれ、搦手門である馬場口門内に花畑御殿が置かれたほかは、土蔵や金庫、舂屋(つきや:穀物の精製所)などに使用されていた。大手方向に面した内堀沿いには多くの三層櫓が建ち並び、本丸の正面口にふさわしい威容を誇っていた。
岡山城本丸全景(復元模型)
北方から望む本丸。模型はデジタルミュージアムに展示。

多彩な建築群 御殿・櫓・城門
 岡山城本丸には、城の中枢だけあって、天守閣はじめ3つの御殿、30の櫓、6つの櫓門があった。特筆されることは、高層櫓が多いことで、3層以上の櫓が9棟を数え、城全体では11棟にものぼった。江戸城や大坂城、名古屋城のような天下普請の城は別格として、大抵の城においては3層以上の建築は天守閣に相当するもので、ひとつの城に1棟ないし2棟程度しかないのが普通である。これほど高層櫓が多いのは、岡山城のほかに熊本城しか例がなく、岡山城の大きな特徴のひとつである。
岡山城本丸の建築物
本 段詳しく
天守閣
塩 蔵
本段御殿
六十一雁木下門
要害門
多聞櫓
干飯櫓
三階櫓
不明門
表 向詳しく
表向御殿
鉄 門
大納戸櫓
伊部櫓
数寄方櫓
月見櫓
小納戸櫓
廊下門
下の段詳しく
花畑御殿
阪下多聞櫓
阪下門
中水門
弓 櫓
鎗 櫓
旗 櫓
宍粟櫓
舂屋櫓 油 櫓
目安橋 隅 櫓
内下馬門 馬場口門
太鼓櫓 花畑隅櫓
修覆櫓

三家による築城の生き証人 石垣
■三家により異なる石積み
 本丸を形作る石垣は、同じ本丸郭内でありながら、場所により石の積み方に大きな違いが見られる。これは宇喜多・小早川・池田の3家による築造の歴史の反映であり、またそれはそのまま石垣築造技術更新の歴史でもある。
●宇喜多時代
 今に残る石垣のうち、本段部分の大部分は宇喜多秀家による築城時に築かれたもので、自然石をほとんど加工せずそのまま積んだ「野面積み」と呼ばれる手法を用いている。
●小早川時代
 小早川秀秋2年足らずの在城中、本段の一部改修と、表向の南半分の大幅な改修が行われた。
●池田時代
 池田時代(忠継以降)には表向北半分の拡張と、下の段の改修が行われた。石垣技術はさらに発達し、成熟期の「打込接」と、石材をあらかじめしっかり加工して隙間なく積み上げる「切込接」と呼ばれる最新技術が用いられている。そのため、表向の段では、南部と北部で石垣の趣が同じ城とは思えないほど異なっている。中の段の西側では、宇喜多時代の野面積み石垣と池田時代の打込接石垣が隣り合っている様子が見られる。
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(石垣についても詳しく解説)
宇喜多期の石垣(左:天守台石垣、右:本段南東部石垣)
小早川期の石垣(左:中の段南西、右:本段東部)
右は真ん中から継ぎ足した跡が見られ、おそらく宇喜多期のものに小早川が手を加えたものと思われる。
池田期の石垣(左:月見櫓下、右:廊下門脇)
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