ピース&ドラマ

‘ピース’がドラマを、ドラマが‘ピース’を!

運命

3-35-40、この数字は交配増殖時に付けられたコ−ドナンバ−です、それは1935年にスタ−トしました「35」、第「3」次の組み合わせによって交配されました、そしてそれは「40」番目の実生苗でした、ここからドラマは始まります。

 交配の主は後に名ブリ−ダ−の名をほしいままにしたフランシス・メイアンその人であります、ご推察の通りフランス人である彼は「ジョアンナ・ヒル」を母に「チャールズ・P・キラム」を父に交配しこれを母に、「チャールズ・P・キラム」を母に「マーガレット・マクレディー」を父に交配しこれを父に(この説には諸説あるようです)、気が遠くなるような複雑な交配を繰り返したわけです、一説には1937年にメイアンが手がけた実生苗は800本にも及ぶと言われています。

 メイアンのねらいは黄色又は赤と黄の複色だったらしく・・・・結果3-35-40は異常にきらきらと輝く照り葉をメイアンに誇示し彼の目を引きつけたそうです、3-35-40この苗こそ20世紀最高の歴史的名花「ピース」の誕生です。

ドラマの始まり

 誕生したばかりの「運命の薔薇」の名は「ピース」ではありませんでした、1942年メイアンは父と相談をして亡き母の名、「マダム・アントワーヌ・メイアン」と名付けました。

 皆さんもお気づきの通り当時のヨーロッパは1939年9月3日に勃発したヒットラー率いるナチス・ドイツ軍の進行により全土が第二次世界大戦の殺りくの嵐の真っ直中に在りました。メイアンは3-35-40の穂木を詰め込んだ1ポンド(約435g)の小包を3つ作り、それぞれをアメリカ、当時敵国であるドイツ、イタリアに送ろうと企てます、永いヨーロッパの歴史にあって只々ひたすら「ばら」を育てる者同志にとって敵も味方も無かったのでしょう、国家権力と個人の愛好家との目線の違いを感じさせます。

 しかし現実は殊の外厳しくナチス・ドイツ軍はメイアンの祖国フランスにどんどん迫ってきます、緊迫の中パリがそしてシャンジェリジェがドイツ軍に占領されるのは時間の問題です、まさに危機一髪!

 今まさにパリを飛び立とうとする最後の飛行機、その荷物の中に秘密裏に積み込まれた3つのワンポンド小包が有りました、そうです無事旅だったのです。

アメリカ行きの小包は無事到着しますが、ドイツ、イタリアに送った小包は消息を絶ってしまいます、しかし後になってわかったことですが戦火の中ドイツにおいては「グロリア・ダイ」、イタリアでは「ジョイア」として愛倍されていたことが判明します。

 1945年4月29日ナチス・ドイツの首都ベルリンはヒットラーと共に陥落しました、そして彼の名花「マダム・アントワーヌ・メイアン」は新たに世界平和を願って「ピース」と名付けられたのです、あの忌まわしい太平洋戦争終結の日、「ピース」は「米国薔薇協会賞」を受賞しました、1946年に開催された国連初総会では「ピース」が平和のシンボルとして使われ、次いで日本と連合国間の講和条約締結(日本では部分講和か全面講和かで国中が騒然としていた時)のその日「米国薔薇協会賞大賞」を受賞。 

「ピース」の長短

 なんと言っても樹勢が強い、輝く照り葉、淡いクリ−ム色、フル−ティ−な甘い香り、反面気候風土に左右されやすい、もう少し香りがほしい。

「ピース」の子ら

 ピンクの名花「コンフィダンス」、赤花の名花「クリスチャン・ディオール」、又「ミッシェル・メイアン」「ガーデン・パーティー」「ロイヤル・ハイネス」「シージャック」、日本では「金閣」など、ざっと挙げても現代の名花中の名花ばかり、それらの孫、曾孫となると数え切れません、例えば「コロラマ」「香久山」「鞍馬」「真珠」、「真珠」に至っては「ロイヤル・ハイネス」を母に「ガーデン・パーティー」を父に持つ「ピース」の孫としては和製の血統証付きの名花です、かくして「ピース」は数々のドラマだけに止まらず先の大戦後の名花の系譜をほしいままにするに至っています。

「終焉」

 愛され続けた、又愛され続けられる「ばら」を作出し続けたF・メイアンにも不幸にして死の影が見え隠れし始めました、不治の病ガンに侵されていたのです、我々に多くの「ばら」を残し、1958年42才の若さでこの世を去ります。ばらに興味のない方にとっては、どこにでもあるごくありふれたお話でしょうが、人は例外なくそれぞれドラマを持っています、その人のみが求める価値観があります、多くの場合それらすべてを抱え込んでほとんど理解されることなく浮世舞台から去っていきます、皆さんはどうお考えですか!

上記「ピース」に関する記述はは山形県山形市のばら愛好家であり又私が「小倉バラ園、会報」を執筆して以来の友人である西塔俊雄氏よりの情報を含みます。

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