ばらの栽培史

このペ-ジでは「ばら」を「バラ」とします

バラは最初の頃は薬用、香料として栽培され、その歴史は古く紀元前4,000年にも遡り、地域的には現イラクや中国で栽培されていました。

バラが人の手によって広く移動し始めたのは、8世紀も終わりの頃だと言われています。

本格的に現代バラの礎になった、いわゆる人為的改良が成され始めたのは19世紀に成ってからです、かの有名な〔ナポレオン〕・・・、正に〔バラ〕とベスト・マッチの人物の登場です、其の后妃、ジョセフィ−ヌが夫君の力をバックボ−ンにマルメゾン宮殿を舞台に250種ものバラを集め、アンドレ・デュポンと言う人に命じ管理、交配をさせたのが最初だと言う風聞であります。その時現在の四季咲きバラの元となった中国の庚申バラが活躍したそうです、何と25年間に2,500種もの新品種を作りだし、現在のバラ=フランスの基礎を作ったのではないかと思われます。

その後、四季咲き中輪花〔ティー・ローズ〕大輪花〔ハイブリッド・パーペチュアル〕が発表され、そしてこの二つの花の集大成、〔ラ・フランス〕がフランス人〈ギョウ〉の快挙により、生み出されたのです、この事で今日使われている、四季咲き大輪花の呼称〔ハイブリッド・ティー〕が世に出たのです、時に1867年、我が国では黎明の明治を迎える1年前です。

1900年、正に20世紀の幕開け、同じくフランス人、〈ペルネ・デュッセ〉に依って金黄色花〔ソレイユ・ドール〕が発表され、この事で一気にバラの色彩バリエイションが広がりました。

1912年にはデンマークの〈エルゼ・ポルーセン〉により四季咲き小輪花と四季咲き大輪花と交配することで、後にフロリバンダ(アメリカで命名)と呼ばれるようになった四季咲き中輪花が生まれた。

その他、先の大戦前では、〔L・M・フイッツ・ウイリアム〕〔オフェリア〕〔S・D・クロ−ジュ・ペルネ〕等、戦後はドイツの〔クリムソン・グローリー〕アメリカの〔シャーロット・アームストロング〕そしてかの有名なフランスの〔ピース〕この花は、あの悲惨な大戦が終わった1945年に発表され、人類の永遠の平和を願って命名されたその名が〔ピース〕です、もっとも発表以前に既に作出されていた事は容易に想像がつきますが、あの戦火渦巻く戦場と化したヨーロッパの町々をバラを携えて逃げ回ったそうです、この花は名だけでなくその素晴らしさは戦後長い間、名花の名をほしいままにした名花中の名花です、又これらのバラが今日の究極秀花の母胎となっているのです。

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