第11代城主 池田斉敏(いけだなりとし) 池田家初の養子藩主

文化8年(1811)生〜天保13年(1842)没
城主期間 文政12年(1829)〜天保13年(1842)
父・島津斉興(鹿児島藩主)
母・周子(かねこ)(池田治道娘・弥姫いよひめ
正室・金子(池田斉政養女)
別称 為政、治五郎
叙位叙任 従四位下、左近少将
法名 雄国院殿威山常光大居士
墓所 岡山市円山 曹源寺内池田家墓所

■薩摩島津家から
鹿児島藩主・島津斉興の二男として江戸藩邸に生まれる。池田斉政の嫡男・斉輝が文政2年(1819)に父に先立ち亡くなったため、文政9年(1826)、斉政の養女と婚して養嗣子となる。文政12年(1829)、斉政の隠居に伴い岡山藩主となる。池田家初の養子藩主であった。
斉敏が藩主であったのは全国的な飢饉に見舞われた時期であり、民政を重視した治世に努めたが、天保13年(1842)、病により急死。32歳であった。嗣子がなく、急ぎ養嗣子を決めた後に喪が発せられた。なお、兄弟に幕末を代表する大物藩主・島津斉彬と、その没後、鹿児島藩政の実権を握った島津久光がいる。

池田斉敏 肖像画
池田斉敏(林原美術館蔵)

池田斉敏 書
池田斉敏書
「留意於忠義之際」

 (岡山城蔵)
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