岡山市東山にある。県指定の史跡である。備前と備中の境となる吉備中山西麓の水田中に位置する。現在館跡は宅地に利用されており、上面はかなり削られているが、70m×60mの長方形の館本体の周囲に幅30mの堀がめぐっていたと考えられる。かつては、館跡のすぐ西側を足守川が流れていたともいわれており、堀は足守川とつながっていた可能性もある。そうすると、堀は館の防御だけでなく、館周囲の水田の用水路として重要な役割をもっていたと思われる。 一部に幅2mの土塁が残存しており、かつては全周していた。館内部の建物構成や、時期については、発掘調査がおこなわれていないため不明であるが、周囲の発掘調査で館関連の遺構が検出されており、その年代から館は今から700年程前につくられた可能性が高い。岡山県下において、鎌倉時代から室町時代前半にかけての館跡は、それ以降の城跡に比べると数が少ない。当館跡は大変貴重な遺跡といえる。
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