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こんなにあります農業用施設

[2010年9月10日]

ID:9053

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水路、ため池、農道、樋門などの農業用施設の紹介

農業用施設が多い理由は?

農業用施設の状況

岡山市での農業用水は、標高の高い所では農業用ため池、平地では岡山県三大河川(吉井川、旭川、高梁川)を水源としています。用排水路は延べ延長約4,000km、ため池は約1,400カ所あり、農業用水を取水・排水したり分岐・分配したりするための樋門は約4,000カ所、用排水機場は約100カ所あります。

気象条件

岡山市は気象庁観測の平年値において日降水量0.5ミリ以上の日数が全国一少なく、日降水量1.0ミリ以上の日数においても県庁所在地としては最も日数が少ない土地柄であり、晴れの国おかやまの中心地です。
しかし、雨の降る日が少ないからこそ、農業振興の観点から農業用施設の存在は重要となります。

地形条件

北は吉備高原の丘陵地、中央に広大な岡山平野、南は児島半島という三つに大別されます。

平野部は、三大河川(吉井川、旭川、高梁川)の沖積作用によってできた浅瀬(吉備の穴海)を16世紀末からの干拓によって農地として拡大してきたもので、なかでも興除地区は明治時代、浦安や藤田などは昭和になってからの歴史の浅い干拓地です。

児島半島も元々は瀬戸内海に浮かぶひとつの島でしたが、陸地の拡大によって約400年前に陸続きになったものです。
干拓の目的は農地の拡大であったため、こうしてできあがった岡山平野は、大変広いもののゼロメートル地帯が圧倒的に多く、かつ河川や水路が非常に多い土地柄になっています。

農業用施設の紹介

主な農業用施設を紹介します。

(水路、ため池、樋門、揚排水機、農業用河川工作物、頭首工、農業用ダムなど)

水路の様子

水路

樋門の様子

樋門

妹尾川排水機場の様子

妹尾川排水機場

坂根堰の様子

坂根堰

上空から見た黒谷ダムの写真

黒谷ダム

おどろきの農業用施設

市域南部の平野部は低平地であるため農業用水の取水位置は北に位置し、旭川にあっては北区玉柏にある旭川合同堰ですが、吉井川では備前市坂根にある坂根堰、高梁川では総社市井尻野にある高梁川合同堰(湛井堰)という市外の堰から供給を受けています。高梁川そのものは岡山市内を流れていませんが、高梁川の水は農業用水として岡山市内を流れています。

水路

西川用水の様子

西川用水

旭川の合同堰から水を取り入れ、岡山市街の中心部を流れ下流の農業地域(福田・浦安など)に農業用水を供給する全長16kmに及ぶ農業用の水路です。市街地の中心を流れる西川の水と水辺は、多くの関係者の努力により、美しい景観を生み出し、水に親しみ四季を通じて花や生き物にふれあうことが出来、人々に「うるおい」と「やすらぎ」をもたらす貴重な空間として親しまれ、疎水百選の一つに選定されています。

樋門

吉井水門の様子

倉安川 吉井水門

岡山藩主池田光政の命により、津田永忠が1679年(延宝7年)に掘削したもので1年間という短期間で完成したものです。
完成以来約300年の間壊れることなく、今も当時の姿をそのまま残してます。

児島湾干拓遺産

明治維新後、士族授産対策として計画された児島湾の干拓事業は、明治14年、内務省がオランダ人技師ムルデルに児島湾干拓の調査を諮問。しかし6,000ha余という児島湾の七割を埋めるような計画に維新政府は資金難に理由に拒否。開発は大阪の豪商・藤田組の藤田傳三郎の手に委ねられました。

藤田組は明治32年から昭和16年までかけて、一、二、三及び五区計約2,970haを干拓。昭和14年に着工した六区(920ha)は、途中中断されたが、昭和24年に農林省が引継いで昭和30年に完成。また、七区(1,670ha)は、昭和19年に農地開発営団により着工され、昭和22年に農林省に引き継がれました。

一方、児島湾干拓の進展に伴い、農業用水の不足が顕在化し、農林省は農業用水確保を目的に延長1,558mの児島湾締切堤防と2つの樋門を築造し、児島湾の淡水化と水位調節による塩害や高潮の被害対策を図った。こうして、昭和34年には面積約1,100haの児島湖が誕生、その4年後、昭和38年の七区完成により干拓工事は完了しました。

常川樋門の様子

常川樋門(岡山市南区西紅陽台)

児島湾干拓第一区の工事により明治33年ごろに建造されたもので、干拓地の田植えの際に農業用水の調整に使われていました。
第七区干拓の完成により、現在は樋門としての機能は停止していますが、岡山県指定重要文化財(平成20年3月7日指定)に指定され、公園のモニュメントとして残っています。
[構造]
石(花崗岩)・煉瓦造り樋門・単アーチ(1連)
通水部幅2.8m、通水部奥行3.9m

宮川樋門の様子

宮川樋門(岡山市南区西高崎)

児島湾干拓第一区の工事により明治33年ごろに建造されたもので、干拓地の田植えの際に農業用水の調整に使われていました。
第七区干拓の完成により現在は樋門としての機能は停止していますが、岡山県指定重要文化財(平成20年3月7日指定)に指定され、モニュメントとして残っています。
[構造]
石(花崗岩)・煉瓦造り樋門・単アーチ(1連)
通水部幅1.8m、通水部奥行3.6m

片崎樋門の様子

片崎樋門(岡山市南区西高崎)

児島湾干拓第一区の工事により明治33年ごろに建造されたもので、干拓地の田植えの際に農業用水の調整に使われていました。
第七区干拓の完成により、現在は樋門としての機能は停止していますが、土木学会選奨土木遺産(平成18年11月15日)や岡山県指定重要文化財(平成20年3月7日指定)に指定されモニュメントとして残っています。
[構造]
石(花崗岩)・煉瓦造り樋門・単アーチ(1連)
通水部幅1.8m、通水部奥行3.5m

丙川三連樋門の様子

丙川三連樋門(岡山市南区藤田大曲)

児島湾干拓第二区の工事により明治37年7月に建造されたもので、全国にもほとんど残っていない明治期の三連樋門です。
一部改修されていますが、現在も使用されている重要な排水樋門です。(土木学会選奨土木遺産)
[構造]
石(花崗岩)・煉瓦造り・三連
3.6mと3.0m二連

世界かんがい施設遺産

世界かんがい施設遺産とは?

かんがいの歴史・発展を明らかにし、理解醸成を図るとともに、かんがい施設の適切な保全を行う、歴史的なかんがい施設を国際かんがい排水委員会(ICID)が認定・登録する制度です。登録により、かんがい施設の持続的な活用・保全方法の蓄積、研究者・一般市民への教育機会の提供、かんがい施設の維持管理に関する意識向上に寄与するとともに、かんがい施設を核とした地域づくりに活用されることが期待されています。

世界かんがい施設遺産に「倉安川・百間川かんがい排水施設群」が登録されました!!

令和元年度世界かんがい施設遺産に岡山県内で初めて登録となった「倉安川・百間川かんがい排水施設群」は,地元の各種団体で構成する「倉安川・百間川等世界かんがい施設遺産登録推進委員会」により登録申請され,令和元年9月4日にインドネシアのバリで開催された国際かんがい排水委員会(ICID)の国際執行理事会で登録の運びとなりました。

倉安川吉井水門の写真

「倉安川・百間川かんがい排水施設群」

1.倉安川(水路)
 吉井川と旭川を結ぶ延長約20km,幅員4m~7mのかんがい施設。
2.百間川(排水施設)
 延長約13km,旭川の洪水防止など基幹的な排水施設としての役割を有する。
3.倉安川吉井水門(堰)〔岡山県指定史跡〕
 切り石を丹念に積み上げた石垣護岸や水門石柱等高度な建設技術を駆使して築造された現存する日本最古の「閘門式水門」。

お問い合わせ

産業観光局農林水産部農村整備課

所在地: 〒700-8544 岡山市北区大供一丁目1番1号 [所在地の地図]

電話: 086-803-1348 ファクス: 086-227-7039

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