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技術者・山羽虎夫

森と楠は岡山の三蟠村に住む義理の兄弟で、森は呉服屋と自転車屋を、楠は材木商と米穀商を営む資産家でした。しかも新し物好きで、自動車がほしくてたまらなくなったのでした。しかし一台8000円という額は、巡査の初任給が8円という当時としてはあまりに高額です。

いっそ国内で製作しようと考えた二人は、最初、大阪の鉄工所に依頼しました。しかし、何ヶ月たっても進んでいるようすがなく、契約を解除してしまいます。そして知人の紹介で岡山の山羽虎夫のことを知り、一切を任せることになります。

山羽は当時、岡山市天瀬(現在の表町三丁目)で山羽電機工場を営んでいました。明治7年(1874)、岡山生まれ。横須賀の海軍工廠、神戸の小野浜造船所、東京の沖電気や逓信省の電気試験所を渡り歩き、電気や機械に関する知識や技術を積んだとされています。
明治27年(1894)に帰岡した山羽は、翌年に岡山の街中、天瀬可真町に工場を開業していたのでした。おもな仕事は電気器具の製造、修理などでしたが、奇術師の手品のタネを考案するなど、独創力もすばらしいものがありました。

そんな山羽のもとに、自動車製作の話が持ちこまれたのです。山羽は自動車など見たこともなかったのですが、生来の研究心、好奇心の強さから、すぐに承諾したと言われます。

現在の表町3丁目
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