宝木取り
 宝木取りは、一対の宝木を作るための素材を芥子山中腹にある広谷山如法寺無量寿院に受取りに行く行事である。
 現在では、使者の依頼、打ち合せ等は事始めの日に行ない、二日後の午後9時頃より総代、世話方、棟梁等約20名が集り、その宝木取り内から5〜7名が使者となり、正吏・捧持者・露払い・供人というように役柄を定めて、装束その他の準備を行ない出発の刻限を待つ。
 正使は、裃姿で手に馬上提灯を持つ。その他は、紺染めで寺名、定紋入りの法被、手甲脚絆で、両者ともに草鞋ばき、頭に菅笠をかぶる。
 先頭は、露払いで箱提灯を持ち、次に正使、次は捧持者で挾箱、以下は供人で各々弓張提灯を持っている。午前0時、西大寺観音院の玄関で山主の手から捧持者の手に挾箱が渡されると直に出発、仁王門から所定のコースを白い息を吐きながらサッサッサッと足早に凍てつく道を一路広谷山を目指す。昔は、無言の道中でもし道中で人に会えば引き返し改めて出直したと言われているが、それは現在では不可能な事で、無言の道中のみを守っている。約40分で無量寿院の玄関に到着、捧持者はガタンと音を立てて挾箱を置く、「タノモウ」の代わりである。住職に挾箱を手渡すと一応無言解除でしばらく休憩である。休憩時間は約20分で、その間使者は接待を受ける。献立は、伝統により、ほうれん草のおしたし、黒煮豆、酒少々である。一方挾箱を受け取った住職は、本堂に行き祈念の後、かねて準備の宝木の原木を挾箱に納め玄関に持ち出し、整列の使者に手渡す。使者は、再び無言で山を下り往路を折り返して西大寺の玄関で山主に挾箱を手渡すと一応任務終了であるが、山主に従って一同本堂に入り、挾箱を本尊前の須弥壇に捧げて、一同祈念の上、控室に帰り装束を解いて行事は終了する。

 この行事も古くは、12月27日に手紙でもって依頼して置き、28日朝七ツ時(午前4時)寺の者(家来)2名が、礼物として三折(和紙)一束を文庫に入れ、風呂敷で包んだものを挾箱に入れ封印し、それを担ぎ、弓張り提灯を持って密やかに往復し、帰って聖天堂の天壇に安置した。明治以前には、原木採集の依頼を西方寺にした事もあったが、これは寺の住職が西大寺の出身者か否かによってその変更が行なわれていたことによるようである。現在は、西大寺の先住であり、無量寿院の住職でもあった長田光阿上人の時代から無量寿院に宝木原木採集の依頼を行なっている。
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