杭州 前のページへ目次へ次のページへ


靄いだ西湖

 洛陽に始まった中国古代の京城跡巡りは、最後が七大古都の一つである杭州市となりました。この古都は「唐」滅亡後に小国の乱立した9世紀前半の地方国家であった「呉越」と、1127年から1279年まで中国南半部分で統一王朝の余命を保った「南宋」の国都で、時代的には新しい。

 杭州市は、長江(揚子江)の河口の南に広がる江南の浙江省の省都で、都市部の人口が110万人を超し、上海から南西に約200km離れ、自動車で5時間程度の行程の東シナ海沿岸の大都市です。南宋の時には人口が120万人を超した世界最大の都市でしたが、この地の繁栄は、国都となるより古く、「隋」時代に完成した郡(たくぐん)(現北京)と余杭(よこう)(現杭州)とを結ぶ大運河(現京杭大運河)の、南部沿岸側の起点となってからです。以後は対外貿易港の商業都市として発展してきました。


西湖の観光船

 長江下流域は、温暖な気候に恵まれて生産力も高く、南船北馬といわれるように水運が発達した緑豊かな地で、特に杭州と近くの蘇州とは、古来から「上有天堂、下有蘇杭」(天上に極楽のあるように、下界に美しい蘇州と杭州がある)と賞賛されている風光明媚な景勝地です。杭州の市街地は近代都市となっていますが、西側郊外に広がる西湖一帯は、中国でも有数の名勝であり、南宋時代の保養地の景観がよく保存されています。杭州市の象徴ともいうべき西湖は、春秋時代の当地の絶世の美女である西施と同様に、時刻や季節や天候に関係なく、美しさを呈しているとされ、特に景観の優れた地を西湖十景と称しています。訪れたのが冬でしたので、湖上は霧に覆われており、晴れ間を縫って十景の一部しか巡れませんでしたが、湖畔の眺望は水墨画の世界でした。市街地の南、秋に海水の大逆流のおきる銭塘江の河畔に建つ、国宝の六和塔からの展望はパノラマの視界ですが、煙霧のために足下の銭塘江大橋を見るのがやっとでした。


かすむ銭塘江大橋

 西湖の南側の山麓に、南宋時代の宮廷用磁器を焼いていた官窯跡が、保存整備されて博物館として公開されています。その付属売店で、650元の復元製作品の青磁酒器を600元に値切って買い、悦に入りましたが、後で行った市内の日中合弁のホテルでは同じ品物が450元であり、値切れば350元が相場だと知り、社会主義市場経済の体験となりました。また、西湖の南西の地が龍井茶の本場ということで、ガイド氏の勧めで本舗に行き、喫茶に及びました。極上の龍井茶は、目(茶葉の開きの形と色)と鼻(香)と口(味)の感覚を満たす茶の最高品との能書きでしたが、私の感覚ではいずれも日本の普通の玉露に及びませんでした。

 今回の古都巡りでは、都城遺跡の踏査を結局できず、この地での都市形成が、城壁に勝る生産力と風光に基づいているとの認識を得ました。山紫水明に恵まれた江南の地は、日本の風情に親近感が持て、異郷の情緒の感にはありません。これまでに見て来た京城跡、中原に鹿を追う舞台となった黄河中流域の、砂塵を伴う光景と情緒=覇権争奪の躍動感とは趣を異にしていることは確かです。

下有山水抱煙靄 湖上午天幽玄彩
白蘇明媚未顕看 西施莫背誰期待

中国歴史文化研究会 1996年12月末


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