随州 前のページへ目次へ次のページへ


古随国都城(環濠)

 随州(ずいしゅう)市は湖北省の省都である武漢市から北西に185kmの位置にある歴史のある都市です。我々中国歴史文化研究会の一行が今回この地を訪ねたのは、5月初めでした。第一の目的は擂鼓墩(らいことん)一号墓(曾侯乙墓)(そうこういつぼ)の墓坑を見学するためでした。

 5月1日夕刻に襄樊(じょうはん)市から随州市に到着したのですが、宿泊予定のホテルの敷地内に翌日見学予定の随州市博物館があるではないですか。見学には便利ですが何か様子がおかしいと感じました。しかし、ホテルにチェックイン後この訝しさは解消されました。随州市委市政府随州賓館という名称から、このホテルが党委員会、市政府の招待所であることが判明したからです。つまりホテルも博物館も管理運営主体が随州市であったのです。中国では、招待所はどこにでもありますが、観光ビザの外国人が宿泊することはあまりないようです。少なくとも私にとっては初体験でした。またホテル側にとっても外国人は珍しいようで、ボーイではなく総経理(支配人)が我々の荷物を部屋まで運んでくれるという特別サービスまでありました。


古随国都城(城壁上より城内)

 5月2日は最初に随州市博物館の見学を行いました。擂鼓墩一号墓の副葬品は武漢市の湖北省博物館に収蔵されているので、あまり期待はしていなかったのですが、擂鼓墩二号墓の副葬品が展示されていました。荷物にはなりますが資料も購入しました。中国では必要なものは見付けた場所で即購入するのが鉄則です。他の場所で購入できる保証はないのです。ただし、同じ物が他の場所でより安価で販売されていることも少なからずあります。

 次に人民解放軍の空軍基地内の擂鼓墩一号墓の墓坑を見学しました。墓坑については地下水位が高く、かつ、全体がガラスで覆われていたため何も見えませんでした。この地下水のおかげで副葬品の保存状態が良好であったらしいのですが、発掘時のみ止水又は排水を行ったようです。将来的には排水設備を設置する計画があるようですが、時期は不明です。

 午後からは、随州市安居鎮(あんきょちん)に向かいました。「古随国都城遺跡」発見の新聞記事に惹かれたのです。武漢市と随州市を結ぶ高速道路建設の事前調査で発見され、高速道路のルートが変更されたほどの遺跡です。本格的な発掘調査は来年からのようですが、随国と曾国との関係等が解明される可能性もあり楽しみです。

中国歴史文化研究会 1998年5月初


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