肥料と認識


ばらに与える肥料で一番難解なことは、それぞれが個々の特性を持つ「ばら」に冬期、夏期(追肥)、又お礼肥に肥料総量として幾らの分量を施すか、「窒素、燐酸、加里」の配分をどうすればいいのか・・・悩むところです。

「ばら」はいくらでも肥料を要求します、しかしそれは「ばら」の立場であって、ばらが求めるだけ肥料を施した結果美しい花が咲くとは限りません、「人」の立場から見ると「咲く」事と「美しい」事とは違います、「人」は美しい花を追い求めています、植物はその個体が一番充実している時、個体の生命に危機が訪れた時も又「実」を着けようとします、栄養分の枯欠もその原因の一つになります。

窒素肥料の欠乏は自らの個体生命の存続をかけて「花」を咲かせ「実」を付け次の世代に託そうとします、我々はその過程に行われる「開花」を支配しようと試みているわけです、従って「窒素切れ」の状態を人為的に行う事も「ばら作り名人」の条件となるのでしょう、ばらにとっては少々迷惑かも知れませんね・・・。

燐酸肥料で神のお告げのように言われている「窒素1:燐酸3:加里1」の件で少し疑問があります、中央集権で文化の発信も「東京」一辺倒になっている昨今、この比率にはどうも承伏しかねます、確かに燐酸肥料の根からの吸収率は劣りますが、だからと言って窒素肥料や加里肥料の3倍というのは納得出来ません、関東のように「ロ−ム層」で形成された地質では、我々関西地方より「アルミニュウム分」を多く含んでいるからではないでしょうか(アルミが燐酸を吸着する)、その為に起こる肥料ロスを念頭に入れた数字ではないのか、つまり日本でも希な土質を持つ関東地方の栽培方法が、あたかも普遍的な栽培方法のように扱われては居まいかと言う疑問です、私たち西の地方に住む者にとって「N1:P2:K1」でも充分ではないかと思われます。加里肥料は、今でも一部の地域に観られる「焼き畑農業」をみればその重要性は相当なものだと言うことが解ります、「草木灰」の効用は人類が初期に認識した肥料ではないでしょうか、人類が求めた「実」は取りも直さず「花」をもって成します、がしかし今となってはその「草木灰」入手は非常に困難となっています、もっぱら化成肥料に頼るしか有りません。

私は微量要素と言われる肥料?を殊更のように施したことはありません、人で言うなら「ビタミン」の様なものですが、それならわざわざ施さなくても大丈夫だと思ってます、なぜなら人間も普通の食生活をしていれば特別にビタミンをとる必要がないからです、但しマニアックな栽培をする方には一概には言えません。

微量要素のこともさることながら、土中含有金属が何か微妙な関係が有るのではないのでしょうか、同じ品種のバラでも土中に含む金属含有量、及び比率が微妙に花色を変えるような気がします、私の思い過ごしでしょうか。

 

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