おかやまの埋もれた歴史再発見
No.6  市指定重要有形民俗文化財 戸川陣屋井戸・つちえの井戸
 妹尾地区は、古くは吉備穴海に浮かぶ島の一部であり、海が埋まって本土と陸続きとなり、干拓で水田の広がった江戸時代に至っても、大半の地の井戸が塩水であり、生活用水は極めて貴重な「資源」でした。江戸時代初期には庭瀬藩の領内でしたが、寛文9(1669)年に戸川安宣が3代目藩主に就いたときに、弟の安成がこの地で1500石を分与されて旗本となり、妹尾知行所を興し、陣屋を構えて治世にあたりました。

 陣屋の南山すそに陣屋や家臣たちの町屋の水源確保を図るために設けたのが、戸川陣屋井戸で、明治維新により陣屋が廃止になった後も、飲料水の不足に悩むこの地の人々に利用され続け、今日まで往時の姿を伝えています。井戸は、花こう岩切石の組み合わせ造りの正方形の井筒があり、井戸端も花こう岩切石で敷かれており、4本の柱に支えられた入り母屋造り本瓦葺(かわらぶ)きの覆屋が設けられ、井戸としての本格的なたたずまいをなしています。陣屋の取水施設とはいえ、この地での井戸の重要さを物語っているといえます。

 一方、妹尾の町並みの西端の山すそにも、「つちえの井戸」と呼ばれている井戸があり、名前の由来は地名とも方位の戊(つちのえ・中央の意味)とも言われ、この一帯の庶民の水源として重宝されていました。17世紀末に描かれたと推定される妹尾村の絵図に記載されていて、古くから利用されてきた名泉です。今日の形状は、井筒が花こう岩切石の組み合わせ造りの八角形で、径が陣屋の井戸の3倍近くもある大型のものです。昭和初期になっても、水売りがこの井戸の水を町屋で売り歩いており、一担桶(たご)が10銭から15銭であったと言われていますので、当時の物価からみれば相当の額になります。まさに妹尾の町屋の水は血の一滴のごとく貴重に取り扱われていたのです。

(岡山市文化財モニター 内田 月満)

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