石の嫁ぎ先

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浅間(せんげん)神社の鳥居

 「私は静岡の原と申します。地元の浅間神社の鳥居について調べておりましたら「駿河志料」に寛永11年(1634)御造立柱1本石今にあり−−−備前丈島の石なり」とあるので、岡山市役所にお訪ねすると貴女を紹介されました。資料がありましたら送ってほしい。」と電話がありました。
 早速「犬島の石嫁ぎ先」の冊子やこの記事を掲載している情報誌「マイタウン」を数十枚お送りしましたところ、「鎌倉の八幡宮の大鳥居も見てきました。浅間神社の鳥居と同じ犬島の石に間違いありません。一度お邪魔してみたい。」と、平成14年5月にお越し下さり採石場をはじめ豊かな自然を堪能され、是非浅間神社の鳥居を見に来てほしとおっしゃってお帰りになりました。
 早くお訪ねしたいと思っておりましたが、やっと平成15年5月、静岡へ伺うことが出来ました。原 光男氏が車で静岡駅まで迎えに来てくださり、浅間神社までは数分で着きました。
 石鳥居は道の中央にどっしりと建っていました。まさしく犬島石の風格です。「よくぞ370年じっと立っていたね。ごくろうさん。」と声をかけました。
 原氏は、静岡市役所に勤務され土木事業にずっと携わってこられました。この鳥居を移転して道路を拡張する工事の話が持ち上がり、上司は「石の鳥居を取り崩してコンクリートで作り直した方が経済的にいいのではないか。」という意見でした。
 しかし、原氏にとっては幼少の頃からずっと親しんで来た鳥居を壊すのは忍びなく、東京の大学にお願いして調査をしたり地域の皆さんの意見を聞き、古い鳥居を移転し残したのです。とのお話にはじーんと胸を打たれました。
 鳥居は前方に動かしたのでバランスを考えて笠石の部分を上げて少し背が高くなっています。(高さ2丈1尺(約6.3メートル)駿河志料)
「壊されなくて本当によかったね。」私は心を込めて鳥居の石肌をさすりました。
 創立は古く特に江戸時代は幕府の崇敬を受け大造営が行われています。境内は4万5千平方メートルもあり、神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の3社を総称して静岡浅間神社といっております。徳川家康公ゆかりのものが、境内の中の文化財資料館に多数収められており、家康公の大きな立像もあります。
 静岡浅間神社は駿河国総社 富士新宮として東海の日光「おせんげんさま」として親しまれており、国の重要文化財に指定されています。
 みんなの力で犬島の石の鳥居が残り、今こうして原氏と交流が深まった事に感謝し、いつまでも静岡の皆様に愛されますようにお祈りしおいとましました。

浅間神社の石鳥居

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