石の嫁ぎ先

年代別にもどる 地域別にもどる

岸和田城の石垣「石の質など修復に最適」

  岸和田のお城の修復に犬島の東田石材の石材を使用したというので訪ねてみました。大阪へ着き難波から南海本線で関西空港行きに乗り、岸和田駅で下車しました。岸和田といえばあの勇壮な「だんじり祭り」が有名なので、普段でも町全体が勇壮なのかなと思っておりましたら予想に反して、落ち着いたしっとりとした静かな城下町で心がほっとしてきました。
  マップを片手に岸和田城を目指して歩いていきました。アーケードの付いた商店街を通り抜けると市役所があり、お城はすぐに分かりました。「ようこそ」というように天守閣がやさしく私を歓迎してくれました。
  岸和田は楠木正成の一族和田氏が当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き根拠地としたことから岸の和田氏と呼ばれ「岸和田」の地名の起こりとなっているとか。
  岸和田は別名千亀利(ちきり)城とも言われ慶長2年(1597)に小出秀正によって築かれています。小出秀正は3万石の大名となり天守閣を造営しました。のちに寛永17年(1640)に岡部美濃守宣勝が高槻から入城し、明治維新まで13代5万3千石の藩主として続いております。
  文政10年(1827)に天守閣が雷火で焼失しましたが、昭和29年に天守閣は復興され現在の姿となりました。岸和田城はいま郷土資料館として開館しております。
  お城を取り囲むお堀に沿って歩いてみました。美しい天守閣が5メートルはある石垣の上に絵画のようにおさまっております。修復は平成11年に完成しました。岸和田市教育委員会になぜ犬島の石が選ばれたのでしょう。とお聞きしたところ、築城当時は泉砂岩という岩石を使用していましたが、施工主の中村石材工業と相談した結果、大阪城の修復などに犬島の石を使用している。石の質、運搬方法など総合的に犬島の石が一番適しているという事で決定したとか。
  真新しい犬島の石が岸和田の風土となじんでこの地の人の心の支えとなりますように祈りながら静かなお城にお別れをしました。

石垣の上に美しい天守閣

Map

 

年代別にもどる 地域別にもどる