石の嫁ぎ先

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岸和田港湾「石材を満載し船で運ぶ」

 新大阪駅から地下鉄御堂筋線を難波で降り、南海本線で関西空港行きに乗り、岸和田駅で下車しました。
 岸和田の港を目指して歩きました。駅からまっすぐに広い道を10分ほど歩いていくと、港の埋め立て地の上に平成9年に完成した大きなショッピングストア『岸和田カンカン』がありました。対岸の工場地帯にはレジャー用のヨットが何隻も浮かんでいます。護岸工事をしている場所まで下りてみました。橋の上を車が行き来しています。
 見慣れた花崗(かこう)岩の割り石で護岸工事がしてありました。ここは昭和50年代の後半から埋め立て工事が始まり平成4年に終了したそうで、岸和田カンカンや24時間営業の映画館のほかは施設がまだ完了していなくて金網をめぐらした広い広い敷地はこれから建設工事がはじまるようです。
 岸和田の港はぜひ訪れてみたい場所でした。私の幼いころから犬島にはたくさんの石船がありました。だんだんと少なくなりましたが、昭和50年代まで石切り場も数か所あり、船は沈みそうなほど石材を満載し、岸和田へ岸和田へと運んでおりました。
 「私らが石船をしていたころが、最後の全盛期だったなぁ。船組合も13業者あって仲間がたくさんいましたよ」と今は渡船業を営む「やはた丸」の山本節夫さんは語ってくれました。山本さんは父の跡を継ぎ、兄弟で船に乗っていましたが、船が明石の沖で遭難しました。
 その後兄とは独立して夫婦で石船を運航しておりました。昭和38年9月若干28歳で岸和田の石問屋さんのお世話で「第5八幡丸」を新造して、犬島-岸和田間を航海しました。潮に乗って8時間から10時間の船旅だったそうです。
 妻の和子さんは船などに乗ったことはなかったので、大変つらいきつい仕事でした。船に慣れないので3年くらいは船に酔って、吐く物がなくなり血を吐くほどでした。
 つらい船乗りの生活にも勇気づけられる事もあり、沖で仲間の船に出会うと船の上のあいさつで、白い布を振り合ってお互いの無事を願う船乗りさんの厚い友情に心なごむものがあったとか。
『荷を積んでやれやれ 船を走らせてやれやれ 荷を上げてやれやれ』板ご一枚、自然相手の仕事は厳しいものがありましたが、無事故を祈って夫婦で頑張ってきた歴史は今は懐かしいと笑顔で語ってくれました。

花こう岩の割り石で護岸工事
「第5八幡丸」

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