石の嫁ぎ先

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乙子城跡の記念碑「赤さび石の自然石どっかり」

 岡山城を築城した宇喜多直家が初めて城主となった城が岡山市乙子にある乙子城です。
邑久郡豊原荘、砥石城の城主であった直家の祖父能家は、隣の長沼荘、高取山の城主島村氏に襲撃され宇喜多氏は没落しました。
 父興家は幼い八郎(直家)を連れ流浪の旅に出て備後の鞆に隠れ住んでおりましたが、祖父能家のゆかりの福岡(瀬戸内市長船町)に帰り、阿部善定という豪商に助けられ養われます。天文12年(1543)八郎は14歳で元服して宇喜多直家と名乗って、佐伯町の天神山城主の浦上宗景に仕えました。そして自ら志願して瀬戸内海の犬島周辺に出没する海賊衆を取り締まるため、吉井川の河口にある乙子に城を築き16歳の若き城主が誕生しました。
 この地が国とりの始まりとされ岡山城築城400年を記念して平成8年にモニュメントを造りました。
犬島産の花崗(かこう)岩を使って『宇喜多直家 国とりはじまりの地』の文字を刻み設置しております。乙子城北側の平地に高さ約3.5メートルの三角おむすびのような形の赤いさび石の自然石が基礎石の上にどっかりと座っています。
その回りには家来の足軽30人をイメージして直家を守るように丸い石が30個ぐるりと囲んでいます。
急なこう配の階段を息を弾ませてお城があった山に登ってみました。昔に訪れた時には整備されていなかったのですが、今は保存会の人々によって手すりも付けられきれいにお掃除もされていました。お城の跡としては狭い場所ですが300貫を拝領した若き城主にとっては最高の場所だったでしょう。
 今は木々が大きくなり瀬戸内海は見渡せませんが、そのころは海賊船がたむろしていた犬島もよく見えたのでしょうか。
 海賊たちと戦った犬島の地で掘り出された石で記念の碑が出来たことは、宇喜多直家もきっと喜んでいただろうと、この地より大きく羽ばたいていった戦国の武将にしばし思いをはせました。

岡山城築城400年を記念して造った記念碑

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