石の嫁ぎ先

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吉備津彦神社の石鳥居

 元禄年間に吉備津彦神社の再建に津田永忠がかかわっているので、どこかに犬島の石が使われているのではないかな、と思っていたところ、岡山市役所の乗岡実氏が、県立博物館の三宅克広先生の研究報告、備前一宮吉備津彦神社所蔵「一宮造立記」の資料を届けてくださいました。
 その中に「元禄九年七月十一日 石工棟梁河内屋治兵衛 従同国犬島、以船数艘、輸来石 同十年二月十五日 従犬以船、送鳥居石 三月 以犬島石 立鳥居 高四間囲七尺」と記されています。
 やっぱり犬島の石が使われていたのだとうれしくなって出けました。
 鳥居は吉備線を渡るとすぐそばの道路沿いに堂々と建っていました。高さ4間(7.2メートル)とあるのでかなりの高さです。きずも無くてっぺんまで一本の石です。鎌倉の鶴岡八幡宮の大鳥居(8.5メートル)よりは小ぶりでスリムですが、やはり犬島石は大きく立派だと改めて感心しました。
 どこか犬島産と分かる印でもないかなと探しましたが、鳥居の石にはなにも彫り込んでいません。見上げると吉備の中山の緑深い木立がやさしくやっと来てくれたねというようにじっと見つめています。両わきの池を感慨深く歩いていくと吉備津彦神社の門前にきました。
 そこでまた手の込んだ石組みや継ぎ目のない石で井戸があるので犬島産でないかなと眺めておりますと、観光ボランテイァの法被を着た男性が、「ずいぶん熱心にご覧なんですね。石はお好きですか。」と声をかけてくれました。私が「犬島から来たのです。」というと私の事を知っておられ、その方はとても喜んで下さり、本殿から振りかえってみると夏至には鳥居の真ん中から太陽が昇る話を教えて下さったり、河内屋治兵衛の名が記されている手水鉢の所も案内して下さいました。そして鳥居は最初建てた時より地盤が高くなっている等お話下さいました。
  ここは古くから備前の国の一宮として人々に崇敬されておりましたが、金川城主の松田氏に焼き払われた事もあり、その後岡山藩の池田氏が大いに尊崇し元禄10年に池田綱政公が津田永忠に命じ現在の境内の姿に造りあげました。
 昭和5年の火災で拝殿などは焼失し現在の建物は11年に復元されたものですが、本殿は火災から免れすべて欅(けやき)材を使った三間社流造りで岡山県の指定重要文化財に指定されています。
 津田永忠は寛文7年(1667)に吉永町の和意谷に岡山藩池田家の墓所を河内屋治兵衛と、コンビですべて犬島産の石を使い立派な仕事を仕上げているのです。それを手始めにこの吉備津彦神社でも二人が吟味に吟味を重ねて犬島の石を選んでくれたことは、石の質が良く様々なところで重宝されていたのだと大変うれしく思いました。
 桃太郎の話によると吉備津彦命が犬、猿、雉を従えて鬼ヶ島で鬼を退治しましたがその時の犬は犬島から戦いに加わったとも伝えられております。
 吉備津彦神社の鳥居が犬島から運ばれていることと何か浅からぬ因縁があるのかなと感じながら家路につきました。

 

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