石の嫁ぎ先

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牛窓港の波止「300年、風波に耐えた石組み」

 「すみません。ここで船をちょっと止めてください。」
 ゆらゆらと揺れるボートの上で波と一緒に踊りながら、興奮を抑えてカメラのシャッターを切りました。
 コンクリートで固められている堤防の下には、見慣れた花崗岩の石組みがあり「これが津田永忠の仕事なんだ」と感無量でした。
 ここは牛窓港の一文字の波止場でホテルリマーニが目前に見えます。陸からではどのような石組みをしているのかわからず、一度近くに行って確かめて見たいと思っていました。石垣の透き間には波が出たり入ったりしています。コンクリートでははね返すばかりなのに、石って本当に環境にやさしいなと改めて思いました。
 元禄8年(1695)池田綱政が津田永忠に命じて牛窓西港の前海に、長さ678メートル(記録373間)高さ2.7メートル(1間半)の波止めを造らせました。
 永忠が郡代に就任した頃、朝鮮通信使が牛窓港に寄港しました。彼はその時接待役を勤め1カ月も牛窓に滞在したそうです。その時、港の必要性と不備を感じていた永忠は、十数年たって積極的に意見を申し上げ一文字の波止を造る事ができました。
 彼は普請奉行として人足の徴用、採石の指定や工事計画などあらゆる事に気を配り工事にあたりました。
 築石はすべて犬島の石を使って、他に比べようもないような堅牢な波止を大変なスピードで、わずか10カ月で完成しています。
 犬島と牛窓は距離的にも近く工事もやり易かったでしょうが、さすが、土木巧者、津田永忠の仕事で、石工の河内屋治兵衛も加わったと思われます。
 捨て石等も非常にたくさん要ったことでしょう。今は何度も修理を重ね、コンクリートで固められているので元の形はわかりませんが、お椀を伏せたような丸い形に亀甲模様できっちりと石を積んでいて、とても美しいものだったと思われます。

牛窓港の一文字の波止

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