石の嫁ぎ先

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後楽園の庭石

 藩主池田綱政は、津田永忠に命じて貞享4年(1687)に後楽園の造営を始めました。なんと14年の歳月をかけ、元禄13年(1700)に一応の完成をみたもので、日本三名園の一つになるような立派なものを作りました。平成12年には築庭300年を迎え、正門も新しく生まれ変わりました。回遊式の庭園で、園路に沿って一周すれば、一巻の絵巻物を見るという趣向になっております。面積は13ヘクタールもあり、主建造物の延養亭を中心に烏城、操山を借景として取り入れており、園内からの烏城の眺めはまた格別です。
 ここでも犬島産の自然石が要所に使われています。まず花葉の池畔に立つ大立石です。ひとつの石で陰陽を表しており、高さ7.5メートル、周囲23メートルもある巨石です。あまりにおおきいので90数個に割って運び元の姿に積み直しています。
 慈眼堂境内の陰陽石は烏帽子岩といい、高さ4.1メートル、周囲17メートルありこれも30数個に割って運びここに設置しています。
 大立石と烏帽子岩は組み立てるのに大変な作業なので、木組みの模型を作っています。その木組みが後楽園に保存されていると聞いていたのですが、なかなかお目にかかる機会がありませんでした。
 やっとチャンスが到来し、念願であった木組みの模型に会うことが出来ました。大きな木箱に入っており、黒ずんだ木箱の裏には墨で「天明8年2月8日改めて御覧に入れる花葉大立石石数92」の文字が鮮やかに書き込まれています。天明8年(1788年)池田治政の時代です。一番上を開いて見ると、「いの二南」と番号と方向が書かれ、石を組み立てるのに解り易くなっており、実に精巧に作られています。同じく烏帽子岩の模型には、石数36と同天明の年号が記されています。改めて御覧に入れるとあるので、歳月がたってから箱書きをしたのでしょうか。
 後楽園の係りの人の話では、幾度か火災や水害に遭ったが、模型は土蔵の中に保管されていたので無事だったとか。他にも園内には数多くの犬島の自然石が使われています。殿様がお籠に乗っておいでになり、籠を着けたという大平石。延養亭南側の園路にそって平らな大石で、別名お駕籠石とも呼ばれ、10畳の間に相当する大きさです。その他子孫繁栄を願って数個の陰陽石が自然石で使われており、犬島産の石だと信じています。

大立石
木組みの模型
烏帽子岩
木組みの模型
木組みを開いたところ
烏帽子岩箱書き

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