石の嫁ぎ先

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玉井宮東照宮「継ぎ目ない一本の石段」

 東山の電停で下車して、高い石段を登ってゆくと岡山県の重要文化財に指定されている本殿に着きました。
 玉井宮は、もともとは岡山市小串にありましたが、応徳2年(1085)に今の地に鎮座されました。
 正保2年(1645)に池田光政公はここに徳川家康公を祭神とする東照宮を造営することにしました。東照宮を最高の場所に建てたかったのでしょう。氏神様として地元の人に崇敬されていた玉井宮を一段下の広場に移し、その跡に大きな東照宮を造りました。佐々木耕治宮司さんの話によると岡山の町から本殿が良く見え金色の金具が夕陽に映えて輝いている様は絶景であったとか。
 明治14年に玉井宮は東照宮と合祀され、33年には旧玉井宮を移転し大拝殿が造られ今のような建物となりました。岡山市内が一望でき緑豊かな操山に囲まれ、環境の素晴らしい西日本屈指のお宮だと評判でした。その立派な社殿が残念なことに平成元年の不慮の火災により焼失してしまいました。
 その後5年の歳月を掛けて再建され、勇姿は復興されました。その中で東照宮の本殿は一か所だけ火災を免れ当時のままの姿をとどめています。
 本殿の基礎の部分に犬島の石が使われています。玉井宮東照宮誌によると「本殿は幣立山北部の最も高所にあり、石垣積みの壇上に、犬島産の花崗岩の巨材を組んで基壇を設けその上にさらに花崗岩の巨材で亀腹をつくって足下を固め・・・」と記されています。
 石は大変大きな継ぎ目のない一本もので、とても立派なものです。よくぞ360年の歳月を耐えてきたものだ。さすが犬島産の誉れと感動が体中を走りました。石肌に触って見ると、きめの細かい柔肌で犬島の石にしては少し黄色味をおびています。亀腹の石も少しの狂いもなく本殿を支えています。石段の下の敷石を見るとパズルのように石を切って配置しています。昔の石工さんの技術の素晴らしさと遊び心がさりげないところに見せ場を作っていることに驚嘆いたしました。
 おうかがいした日は軒下の飾り絵が傷んでいるために京都から技術者が調査にこられており、その状況を拝見させていただきました。龍の絵等の飾り絵は狩野派の流れをくむ絵師によって施されており、この絵が復元すると日光の東照宮に負けないくらい立派なものになることと思います。
一日も早く飾り絵が復元し素晴らしい玉井宮東照宮となり、多くの参拝者に優雅な姿を見せてね、と願いつつ下山しました。

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