石の嫁ぎ先

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清泰院の墓塔「年月感じさせぬ忠雄公の墓石」

 岡山市浦安本町に清泰院というお寺があり、池田家の初代忠継(ただつぐ)と2代忠雄(ただかつ)の墓所があるので訪ねてみました。
 元和元年(1616)17歳で病死した忠継は岡山市小橋町にある龍峰寺に葬られました。忠継の死後弟の忠雄が岡山城主となっておりましたが、寛永9年(1632)江戸詰めをしている時に、ほうそうを患い31歳の若さで亡くなりました。その遺骸は岡山に運ばれ兄、忠継と同じ寺に葬られました。龍峰寺はその後清泰院と名を改められました。昭和38年、新京橋を架設するため現在の場所に移されています。
 忠雄の墓は犬島産の花崗岩で高さ5メートルを越える巨大な無縫塔です。形が里芋に似ている所から「芋墓」と呼ばれています。台座は5段に分かれていますが、継ぎ目は1か所にしかなく大きな石で彫りあげられております。
 左側には忠雄の夫人(芳春院)の墓塔の五重の塔があります。右側には忠雄に殉死した加藤主膳の墓が芋墓に従うように建っています。忠雄夫人の供養塔の五重の塔は豊島産の凝灰岩で出来ており、痛みが進み時代を感じさせます。犬島産の芋墓は苔もはえてなくどう見ても同じ年代の物だとは思われません。犬島産の石は水を吸いにくいので、こうして並んでおりますと石の性質が一目でわかります。

清泰院の墓塔 芋墓

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